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2006/06/22

アイランド

監督:マイケル・ベイ
出演:ユアン・マクレガー/スカーレット・ヨハンソン/ショーン・ビーン/ジャイモン・フンスー/スティーヴ・ブシェミ/マイケル・クラーク・ダンカン

30点満点中18点=監4/話3/出3/芸4/技4

【真実を知ったふたり、その行き着く先は?】
 夢の楽園=アイランド行きを夢見て、施設で暮らす人々。だがリンカーン・6エコーは、単調な仕事とトレーニングと食事制限の日々に疑問を感じ始める。そして彼は立ち入ってはならない地区に侵入し、アイランドへ行くはずの人々が殺される場面を目撃する。思いを寄せる女性ジョーダン・2デルタとともに施設を脱出したリンカーンは、作業員マックから恐るべき真実を聞かされる。「君たちは臓器提供のために作られたクローンなんだ」。
(2005年 アメリカ)

【70年代SFの正統なる後継者】
 映画を観る前には、常に“期待”がある。たいていは「面白いもの」を期待するわけだが、時には「泣きたい」とか「笑いたい」とか。
 本作にかけたのは「そりゃあ面白いに越したことはないけれど、せめてあの頃のときめきを味わえないだろうか」という期待だ。『猿の惑星』(フランクリン・J・シャフナー監督)、『ソイレント・グリーン』や『ミクロの決死圏』(ともにリチャード・フライシャー監督)、『ウエストワールド』(マイケル・クライトン監督)、『アンドロメダ…』(ロバート・ワイズ監督)など、60年代後半から70年代に作られたSF映画を初めて観たときのドキドキである。

 さすがにこっちだって当時からいろんな経験を積んできているので、身も震えるほどのセンス・オブ・ワンダーを求めるのは酷。けれど、拙い手で丁寧に作られたA級志向(結果としてB級になるとしても)のSF映画、という点で本作は70年代風の味わいを示してくれた
 クローンをネタにした映画は山ほど作られていて、いまさらという感じはあるのだが、その「いまさら」を悪びれずに映画化したことを評価したい。いやホントに「いまさら」なのだ。なんというか、世間にクローンについての認識が広まり始めた頃に作られた映画、といった雰囲気。それがいい。

 船のデザイン、無機質な部屋、そこに浮かぶグリーンの文字、閉ざされた世界と外という設定、管理社会、『製品』や『アグネイト(同種)』といった用語……。う~む、まさしく70年代。
 もちろん作りまでが70年代に退化しているわけではない。クローン技術についてくどくど説明することなく、クローン体に知識を詰め込む様子や培養から誕生などを上手く見せる。30年前なら最大の見せ場となっていたであろう脱出劇も前半1時間ですませるし、ガッツンガッツンと飛ばしながらも、眉を上げたりなど人物の細かな動作をちゃんと拾う。
 テンポのいい語り口だ。

 SFだからこそ重要な“人間”も必要最低限以上には描かれていて、たとえばマックの性癖や生活が挟まれ、リンカーンが追っ手を撃退した際にジョーダンが口にする「Good Job」という台詞は、きっと施設内で仕事を仕込まれたときに覚えたんだろうな、と感じさせる。サラリとしたふくらましが活きているのだ。
 ちょっとボぉっとした感じのスカーレット・ヨハンソン、純情青年も成り上がりの遊び人もできるユアン・マクレガー、ともに適役だろう。

 青みがかってハイキー&逆光気味の画面もSFっぽいし、不安とスピードとアクションを盛り上げる音楽の使いかた、スローモーションを多用する大仰なカットは、いかにもマイケル・ベイ流。高低を感じさせる音響もいい。

 ま、6エコーが窮地に陥った際の切り抜けかたがやや乱暴だし、主役ふたりは案の定簡単には死なないし、クライマックスはバカ・アクションだし、マックがクローンについて語るくだりは「登場人物ではなく観客に説明している」という空気がプンプンで、決して名作でも上出来でもない。アレとかコレとか、あまたあるSF映画の“なぞり”も見受けられる。
 だが少なくとも前半部は、前述の通り「あるSF的アイディアが世間に広まり始めた頃に作られた映画」という雰囲気に満ちている。その点において70年代風SF映画の正統な後継者とはいえるのではないだろうか。

 で、本作の舞台である2019年にはXboxがエライことになっているわけです。あれが実現しているなら買いたいものだ。

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