ビッグ・ダディ
監督:デニス・デューガン
出演:アダム・サンドラー/ジョーイ・ローレン・アダムス/コール&ディラン・スプラウス/ジョン・スチュワート/レスリー・マン/ジョシュ・モステル/ロブ・シュナイダー/クリスティ・スワンソン/ジョー・ボローナ/スティーヴ・ブシェミ
30点満点中16点=監3/話3/出4/芸3/技3
【思いがけずにパパとなった男は生まれ変われるか?】
軽症で得た20万ドルもの保険金で、気ままに暮らすソニー。父や恋人のバネッサは、そんなソニーを苦々しく思っていた。ある日、ソニーのアパートへやって来たのは5歳のジュリアン。友人ケビンがどこかで作った男の子らしかったが、妙にソニーになついてしまう。「この子のパパとして立派にやれるなら、自分は変われるはず」。そう考えたソニーは、自分なりの奔放な方法でジュリアンに接する。だが、事は思い通りには運ばないのだった。
(1999年 アメリカ)
【映画としてのデキはイマイチも、考えるモトにはなる】
経験ゼロなので偉そうなことはいえないが、子育てって世界一難しい仕事なんじゃないか。だって「人間を作る」んだから。
パパが熱弁をふるうまでもなく、間が悪くて自堕落なソニーにはとうてい無理な仕事だろう。
ただ本作は子育ての難しさというよりも、他人と暮らすことの難しさを訴えているように感じる。あるいは家族の作りかた、家族との接しかた、か。中心に据えられているのがジュリアンという“子ども”、すなわち大人とはまったく別種の生き物なので、ことさら「他人と自分の生活を交差させる」ことの難しさが面白おかしくクローズアップされているが、相手が大人だろうが子どもだろうが、難しいことに変わりはない。レイラがいうように、他人と自分の生活を交差させれば、自分のリズムを乱されるのは必然だ。
けれど、そんな不都合を請け負ってでも、その人のそばにいたい、そばにいて欲しい、そう思える人を見つけたり、そんな関係を築いたりすることの大切さと難しさを説く映画、といったところだ。
その場面では、真剣さと同時にユーモアも必要となる。周囲の協力も不可欠だ。けれど、常識ハズレの接しかたを避けるのは当然としても、ことさらに気張る必要はないのかも知れない。だって、どうということのない毎日、1つ1つの小さな出来事が、血となり肉となって人を作っていくこと、人と人との関係を築いていくことを、ジュリアンは教えてくれているじゃないか。
そして、大切なのは“誰(WHO)”ではなく“どう(HOW)”。
ジュリアンやレイラと暮らすのは、たぶん、ソニーでなくたっていいはず。もっとマトモなやつはいる。ただ問題となるのは、どんな風に彼や彼女たちと接するか、ということ。努力は必要だが無理をすることはない。譲れないことだってある。だからこそ「相手が誰か」という状況よりも、「どう接するか」のほうが、人間が変わるためには重要だ。
そんなメッセージが込められた物語に思えた。
が、映画としてのデキは、いまひとつ。
ソニーに知識や才能があることを前半部でしっかり示したり、ジュリアンのために真剣になる姿を印象づけるなどいい部分もある。ホームレスやデリバリーマン、ゲイの友だちや元カノなどキャラクターの散りばめかたもユニークだ。
いっぽうで、ソニーがジュリアンと暮らそうと思い立つ動機部分が鮮やかでないし、ソニーとレイラの関係、ソニーとパパとの関係など、突っ込み不足に終わっているところも多い。肝心な部分が曖昧なまま、ソニーやジュリアンらキャラクターの魅力だけで引っ張っていく、という感じだ。
作りとしても、フツーの会話、フツーのテンポ、フツーのカット、フツーの編集(監督は『アリーmyラブ』などでメガホンを撮ったテレビ中心の人らしい)。それだけ身近には感じられるが、映画ならではの見せ場がなく、全体に小ぢんまりとしてしまっている。
ガンズやリンプ、スティクスなどの音楽が画面に馴染むことからもわかるように、軽ぅい空気で作られた作品ともいえるだろう。
軽さの中から、どれだけのものを拾い上げて咀嚼するかによって評価は異なるはずだが、いろいろ考えさせてくれたし、ジュリアンは可愛いし、16点ほど悪くない映画だと思う。
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