クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦
監督:原恵一
声の出演:矢島晶子/藤原啓治/ならはしみき/こおろぎさとみ/屋良有作/小林愛/羽佐間道夫/緒方賢一/山路和弘
30点満点中20点=監5/話4/出4/芸3/技4
【しんちゃんin戦国時代。運命と恋のストーリー】
泉のほとりで祈りを捧げる若き姫……。野原家の面々が同じ夢を見た日、シロが庭から文箱を掘り当てた。中には、なんと「オラは天正二年にいる」という手紙。その文面を見たしんのすけは次の瞬間、戦国時代へとタイムスリップ! 武将・井尻又兵衛の命を救ったしんのすけは、夢に見た廉姫と出会う。あの祈りの意味は? 姫に密かな思いを寄せる又兵衛の運命は? そして春日の国の未来は? 野原家を巻き込んで、いま戦が始まる。
(2002年 日本 アニメ)
【穢れなき時代、穢れなき愛が涙を誘う】
争いがないというだけでは“平和な自由世界”と呼べない。自分の運命を自分の手で切り拓けるかどうか、それが自由というものだろう。
残念ながら僕たちが暮らす現代にも、春日和泉之守や廉姫が憧れる完全な自由はない。さまざまな制約に阻まれて、あるいは責任という重い鎖に引っ張られて、「自ら由とする」ことは、なかなかにムズカシイ。
もちろん、戦国の世ほどの縛りはないけれど。
そんなことを考えさせつつも、実にスピーディな展開で緊迫感にあふれている映画だ。
説得力抜群のタイムスリップの描写や、花が落ちるカットから敵襲の知らせへの切り替わりなど、とんでもないほどのテンポのよさ。
出陣前に姫がいるはずの天守閣を見上げる又兵衛や、幼稚園のチャンバラごっこが戦場でも生かされるなど、妥当性に富んだシーン/カット。
当然『クレヨンしんちゃん』お約束のおしりは出てくるし、「戦国時代で役に立つもの」としてクルマに積まれたアレなど、マヌケさがてんこ盛りである点も『クレヨンしんちゃん』ならでは。
必要なことを必要なだけ見せてくれるし、『クレしん』ワールドに求められている要素もキッチリとクリアする。つまりは映画としても、『クレヨンしんちゃん』としても、完成度と密度はすこぶる高く、その結果として緊迫感が滲み出ているのだ。
そして描かれるのは、縛り=義。
義、すなわち「道理/人間の行うべきすじみち/利害を捨てて条理にしたがい、人道・公共のためにつくすこと/意味/わけ」(広辞苑より抜粋)。
廉姫の祈り、又兵衛の思い、戦を覚悟する殿、金打(きんちょう)、又兵衛に平伏する野武士たち、助太刀するひろし、そして、しんのすけがこの時代に遣わされたわけ……。すべてが“義”によって支配された出来事だ。
それらは確かに人を縛りつけるものではあるけれど、その義の中で精一杯に己の役割を全うする人々の姿は、素晴らしくまぶしく、じわりと湧き出す涙を抑えることができない。
彼ら彼女たちの姿は、穢れがない、清廉、ともいえるだろう。
透明感たっぷりの廉姫が、透き通った水を手のひらで掬い上げて飲む冒頭のシーンで、その“穢れのなさ”が強烈に印象づけられる。草や花といった自然も、効果的に舞台の清潔さを倍化させる。蝶や抜けるような青空や流れる雲は、その清廉さが、春日部の地に脈々と受け継がれていることを物語るものとして機能する。
オープニングからエンディングまで、実に鮮やかな絵と構成で“清さ”が描かれていく。
依然として「子どもに見せたくない」番組に選ばれ続ける『クレヨンしんちゃん』からの、これは、痛烈なしっぺ返し。そのしっぺ返しに素直に平伏して文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞を与えた大人が日本にいることを喜びたい。
と同時に「うむ。こんないいものを子どもに見せるのはもったいない」とも思わせる。
そんな批難や受賞歴などを超えたところで観るものに訴えかけて、「人のおこないのなかで、もっとも尊いのは祈りである」という事実と「おじさんの旗」が、心に焼きついていつまでも残る名作である。
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