タッチ・オブ・スパイス
監督:タソス・ブルメティス
出演:ジョージ・コラフェイス/タソス・バンディス/イエロクリス・ミハイリディス/レニア・ルイジドゥ/バサク・コクルカヤ/マルコス・オッセ
30点満点中16点=監3/話3/出3/芸3/技4
【人生にスパイスを効かせて】
1959年、トルコのコンスタンチノーブルに暮らすファニス少年は、大のおじいちゃんっ子。祖父ヴァシリスが営むスパイス店に入り浸り、料理の知識と腕を密かに磨いていた。だがトルコと隣国ギリシアとの関係が悪化、ギリシアからの移民であるパパは国外退去を命じられ、ママとファニスも移住を余儀なくされる。それから数十年、天文学の教師となったファニス。あれ以来会うことのなかった祖父と再会できる日がやってきたのだが……。
(2003年 ギリシア)
【個々の要素だけが印象に残る、おせち映画】
わが家のキッチンにはいろいろと香辛料が並び、妻の親類からは「さすがは料理上手な婿殿だ」なんていわれたりするが、実のところ使うのは、和食なら醤油と酒と黒砂糖、洋食だとクレイジーソルトかステーキペッパー、中華なら王覇(ウェィ・パー)くらいなので、何を作っても同じ味。申し訳ない。
本作には、もっともっと味わい豊かに見える料理があれこれと登場する。それに使うためのスパイスも。
で、この映画そのものを料理に例えると、おせち料理だろうか。「子宝に恵まれますように」だとか「よろこぶ」とか、個々の料理の謂れはユニークで、なんとなく伝統みたいなものを感じるんだけれど、トータルなテーマは見えにくい、というか。おせちには「ふだん家事で忙しいお母さんを、せめて正月くらいは炊事から解放してあげよう」といった意図が隠されているんだけれど、そういう馬鹿馬鹿しさも見えにくい。
去る地ではなく行く先について語れ。結婚したいなら隠すことも覚えろ。いろいろな格言が頻出する本作。納得できるものもそうでないものも、どちらもピリリ。
ただし、人生の真理を押しつけるばかりではなく、また、ギリシアの悲しき近代を舞台としつつも作者らのイデオロギーは前面に出さず、あくまでも主人公一家のパーソナルな物語として描き切っている。
かといってチマチマした“家族の悲劇”に落とし込むことは避け、豪快に動くカメラ、CGを交えたダイナミックかつ絵画的な画面で映画的なスケールも出す。
笑いもあるし、禁断のキサムマート、教会のロウソク、赤い傘、蒸し風呂といった小道具も印象的かつ上手にストーリーへと組み込んで、まずまず練られたシナリオともいえる。
けれど全体を見渡したとき「ん~、結局のところ何をいいたかったのかなぁ」とスッキリしないのだ。
たとえば「故郷と、住むべき場所。それはイコールか、ノットイコールか」というファニスの自問が1つの軸にはなっているんだけれど、どうしても格言とか絵作りとか、個別の要素が散漫としすぎていて、『映画としてのテーマ』が霞んでしまった印象だ。
もう一度、ファニスに感情移入して観てみれば、なにかもっと深いものをつかめるのかも知れないが。
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