Shall we Dance?
監督:ピーター・チェルソム
出演:リチャード・ギア/ジェニファー・ロペス/スーザン・サランドン/スタンリー・トゥッチ/リサ・アン・ウォルター/アニタ・ジレット/ボビー・カナヴェイル/オマー・ミラー/リチャード・ジェンキンス
30点満点中17点=監3/話4/出4/芸3/技3
【平凡な男が突如とした目覚めたもの、それはダンス】
愛する妻と娘と息子。平凡な日々だけれど、幸せな生活を送っていたはずの遺言状専門弁護士ジョン・クラーク。ある日彼は、通勤の途中で見上げたビルに、ダンス教室の看板と、その窓際にたたずむ悲しげな目をした女性を目撃する。気になって仕方のないジョンはダンス教室を覗くのだが、成り行きから、毎週水曜の夜にダンスを習うことになってしまう。あの悲しげな女性は、ダンス教室の臨時講師で失恋したばかりのポリーナだった。
(2004年 アメリカ)
【やりたいことをやる、という生きかたを煮込んだシチュー】
人間“やりたいこと”だけをやって生きていけるわけじゃない。スケジュールは“やらなければならないこと”や“誰かからやって欲しいと望まれていること”で埋まり、けれど“やれること”には限りがある。
たぶんジョンはこれまで、自分の中でそれらのバランスを取りながら生きてきたのだろう。あるいは“妻や子供たちから、やって欲しいと望まれていること、こうあって欲しいと望まれている夫像・父親像”に応えることが、ジョンにとっての“やりたいこと”であり“やるべきこと”だったのかも知れない。
だから思いがけず巡り会ったダンスという新しい“やりたいこと”を持て余してしまう。“やりたいこと”を優先させた結果、妻に不安を与え、パートナーのボビーに恥をかかせてしまった、そのことを悔いる。“やりたいこと”にこだわる生きかたに慣れていないから「幸せなのに、それ以上を求めてしまった」なんて引きこもってしまう。
そういうオロオロが縦軸として据えられ、人それぞれの生きかたに是非など問えないといったテーマもしっかりと感じさせ、かつ笑いも散りばめて飽きさせない。なかなかギッシリ感のある作品だ。
こういうフツーのおじさんに、リチャード・ギアは意外とハマる。キザだったりヤリ手だったりする役よりも魅力的じゃん。ジェニロペも身体のラインを生かしつつ、感情の起伏を抑えて好演。スーザン・サランドンなんか、夫の嘘に気づいてしまうシーンでの表情の作りかたとか、後姿だけで演技してしまうところとか、惚れ惚れしてしまうほど。
脇役勢も、出しゃばらず、ムダにならず、いい具合に配置されている。
ただし、撮りかたとしてはフツー。キモであるはずのダンスシーンにこれといった工夫もパッションもないし、それ以外の部分もごくオーソドックスに組み立てられていて、映画的な「!」は皆無だ。夜や室内のシーンばかりということもあって、絵的・色的なバリエーションが少なくて窮屈な感じも受ける。ナレーションやセリフだけで各人の背景と「平凡な日常」を示すなど、語りに安易さもある。
かといって退屈でもないし安っぽくもない。なんというか、町の個人営業レストランで食べる1800円のシチューという感じ。ホテルの3000円シチューほど高級な素材を使っているわけではないし手も込んでいないけれど、ファミレスの800円シチューよりも本格的で、必要な手順をしっかり踏んで作られた味。そのぶん、かしこまらず安心してジョンの内面に付き合い味わうことができる。
監督は『セレンディピティ』のピーター・チェルソム、脚本は『トスカーナの休日』のオードリー・ウェルズ。今回はおしゃれ感覚や必要以上の実在感を抑え目にして「1800円分の食材と手間で1800円のシチューを作った」という印象。奇をてらわず、力を入れすぎず、フツーの大人たちのオロオロをフツーに描いた、観やすい作品として仕上げてみせた。
戸惑いながらもひたむきに踊るジョンが、ポリーナに“やりたいこと”を思い出させたように、観た人の背中をそっと押してくれる映画といえるかも知れない。「あなただって“やりたいこと”を、もう少し優先させてもいいんじゃありませんか?」と。
もっとも、世の中“やらなければならないこと”だらけというのが実情、あるいは“やりたいこと”しかやらない人ばかりというのが現実なのではあるけれど。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント