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2006/09/09

ミリオンダラー・ベイビー

監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド/ヒラリー・スワンク/モーガン・フリーマン/ブライアン・オバーン/マーゴ・マーティンデイル/ジェイ・バルチェル/マイク・コルター/ルシア・ライカー/ベニート・マルティネス

30点満点中18点=監3/話4/出4/芸3/技4

【老トレーナーと女性ボクサー、その歩み】
 かつては名カットマンとして知られ、いまはロスでボクシングジムを経営するフランキー。もっとも有力と思われた選手は引き抜かれ、ひとり娘とは断絶状態、長い付き合いの元ボクサー・スクラップに対しては負い目を感じる過去を持つ。そんな彼のもとに「トレーナーになって欲しい」と女性ボクサーのマギーが現れる。断ったもののスクラップの後押しもあってフランキーは折れ、固い絆で結ばれたふたりは連勝街道をひた走ることになる。
(2004年 アメリカ)

【明と暗をテーマとし、要素ともする作品】
 これはたぶん、不幸を描いた物語でもないし、女性ボクサーの生涯を追った映画でもない。ましてや尊厳死がテーマとなっているわけでもない。
 ここにあるのは“人生の現実”にほかならない。
 生きていくということは雨上がりの野原を歩くようなもので、濡れた青草の匂いに鼻腔をくすぐられて気分よくなることもあれば、水溜りに足を突っ込むこともある、湿った風に肌を洗われることも、すべって転ぶことも。そんな、人生。

 さまざまなことが起こりうると、画面が告げる。あるときは奥が暗く、またあるときは奥が明るい。人が、影と光との境い目を横切って歩く。『ミスティック・リバー』でイーストウッドは意識的に人を暗部に置いて人生のダークサイドを描いた映画であることを印象づけたが、本作では「明」と「暗」とを等しく扱う

 いくつかのセリフには「明」=人の心の“浮かれ”が詰め込まれている。たとえば褒め言葉。フランキーのもとを去るウィリーは「(ボクサーとして必要なことは)あんたに全部教わった」という。そのフランキーは「女にしては上出来?」と訊くマギーに「『女にしては』はいらない」と答える。そしてマギーは「行きは飛行機、帰りはクルマ」と、試合に勝ってクルマを買おうという冗談を口にするほど上機嫌。浮かれが伝染していく。
 そのいっぽうで、自分をないがしろにする家族、満足に戦えなかったスクラップの109戦目、決して大成しないであろう若いボクサーたち、山に埋められた犬など、疎外感や挫折や限界や哀しみという「暗」が散らされる。

 そのコントラストに密度を付与するかのように、グリースを塗ったような重めの色調が作られ、カメラはその場へ入り込むように動く。
 ボクシングの技術描写の妥当性はともかく、ウエイトレスの仕事をしながらの重心移動、流れるようなカットのつなぎで表すマギーの上達ぶり、ピンチとチャンスとをわかりやすく示す試合シーンなどは、シンプルかつ丁寧。
 ジムにはミット打ちや呼吸の音が絶えず響き、監督自ら手がけた音楽がしっとりと鳴り続ける。
 もちろん、よく枯れた老人たちと、決して若くはないが可能性を信じ、あがくように上を目指すマギー役ヒラリー・スワンク、3人の演技と存在感にも重さがあって上質だ。
 さまざまな要素が、光と影の隙間を埋めていく。

 そして人生では、最高にまぶしい舞台からどこまでも暗い闇へと、一瞬にして叩き落されることもある。フランキーとマギーが交わした握手の背景には、確かに光が置かれていた。薄暗い病室など想像できぬ光が。
 けれど、次に踏み出す一歩を恐れていては生きていくことはできない。
 水溜りを避けるために、あるいは濡れた靴を乾かすために、フランキーのように教会へ通い続ける人がいる。モ・クシュラ=愛する人を自分の血(生きていくうえでの糧)とすることが、生きる原動力になる人がいる。
 また「金を無駄に使うな」といわれるまでもなくテレビやビデオすら買おうとせず、なかば“イってしまった”眼で対戦相手を睨むマギーのように、ひたむきさを武器として歩き続ける人もいる。

 そんな、“人生の現実”と、その現実に対処する方法、対処するために必要な力、対処し切れずに消えていくしかない「人生の『暗』を前にしたときの人間の無力さ」、それでも答えを出すしかない過酷な生き様……、そういったものをフランキーの娘と観客に伝えるための映画ではないだろうか。
 そう考えれば、少し喋りすぎに思えたモーガン・フリーマンのナレーションにも納得がゆく。

 死だけが悲愴なのではない。次の一歩の足の下を知らずに生きていくこともまた悲愴なのだ。そんなふうに考えさせる作品である。

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2004年 アメリカ 原題:Million Dollar Baby 原作:F・X [続きを読む]

受信: 2006/09/10 15:01

» NO.113「ミリオンダラー・ベイビー」(アメリカ/クリント・イーストウッド監督) [サーカスな日々]
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2004年/アメリカ 監督/クリント・イーストウッド クリント・イーストウッドという監督は題材選びがうまいなあ、と本当に思う。目の付け所がいい、というのかな。しかも、問題定義の仕方がひと筋縄じゃない。その問題点を煮詰めて煮詰めて、周りに付着しているいろんなものをそぎ落としながら、「芯」だけにして「どう思う?」と目の前に突きつけるような感じだ。公開が迫った「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」ではついに戦争を描くが、いったいどんな研ぎ澄まし方をしたのか、今から興味深い。 これは貧しい女... [続きを読む]

受信: 2006/09/14 20:47

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