シンデレラマン
監督:ロン・ハワード
出演:ラッセル・クロウ/レネー・ゼルウィガー/ポール・ジアマッティ/クレイグ・ビアーコ/パディ・コンシダイン/ブルース・マッギル/ コナー・プライス /アリエル・ウォーラー/パトリック・ルイス/ニコラス・キャンベル
30点満点中16点=監3/話3/出4/芸3/技3
【家族との生活を守るため、男はふたたびリングに立つ】
1928年。KO負けのないボクサー、ジェームズ・D・ブラドックは連勝を続け、王座戦へと挑むまでになるが、それがキャリアのピーク。相次ぐ怪我で調子を落とし、大恐慌のおかげで試合への出場もままならなくなり、ついにはライセンスまで剥奪されてしまう。妻と3人の子どもを抱え、貧困に窮する彼は、かつてのマネージャーであるジョーから、故障したボクサーの代役話を持ちかけられる。それは一夜限りの復帰戦のはずだったが……。
(2005年 アメリカ)
【想いが希薄で谷間に欠ける作品】
「某映画を観始めて30分でギブアップして、口直しのつもりで観た作品ですが……」
「ロン・ハワードにしちゃあ、デキが悪いな」
「なんだかモヤモヤっとしたまま進み、モヤモヤっとしたまま終わります」
「一応、山場はあるんだよ。でも“谷間”がない。淡々として起伏のないまま終わる」
「絶頂期の1928年からいきなり1933年のビンボーライフへと飛ぶなどシーンの切り替えかたは鮮やかなんですけれどね」
「それが逆に災いした。飛ぶのはいいんだけれど、彼が落ちぶれた理由をぜんぶ新聞やアナウンサーに語らせちゃってる。ピークを過ぎた後の試合も、その“ダメっぷり”の度合いや“つまらなさ”がちゃんと伝わらない。
つまり“谷間”の描写がない。
だから彼の復帰戦が『勝ち目のない試合』と騒ぎ立てられても、どれくらい勝ち目がないのかピンと来ないんだよ」
「彼が復帰戦のリングに立つ理由も曖昧です」
「曖昧というか、観る側が無理やり『家族のため』『生活のため』『自分に夢を託している大勢のファンのため』と納得させられる、という感じかな」
「家族が大切だ、ボクシングしかない、という切実さが希薄ですよね」
「うん、息子が万引きしたり家族で薪を拾ったりといったビンボーライフを見せられてもさ、それが『切羽詰まってるなぁ』とは響いてこない。電気やガスを止められるくらい、誰にだって経験あるじゃん」
「誰にだってというのは大袈裟ですが、あまり『困ってる』感が漂ってはきませんでした」
「せめて『妻と子どもたちが、すべて』ということをわからせる象徴的なシーンでもあればよかったんだけれどさ」
「急に『あの子たちをどこへもやらないと約束したんだ』といわれても」
「そうそう、そういう“子どもへの想い”の深さが決定的に不足している。その子どもたちだって、3人もいるくせにキャラが立ってないし、女房は心配顔をするだけ。ブラドック本人も、たいして魅力的なヤツじゃない。感情移入できないんだよな」
「たびたび『プライド』という言葉が出てきますが、プライドあるボクサーには見えませんしね」
「誇りもないし、家族への想いもない。とりあえずボクシングという稼げる手段があるんで戦います、みたいな」
「かといって、たとえば家族とのふれあいをもっと増やしたり、港湾での作業の合間にシャドーボクシングをしてみたり、そういうシーンを入れてもベタになるだけなんでしょうね」
「ベタでもいいんだよ。これってベタを期待して観る映画でしょ。ベタになることを避けるために、とにかく薄ぅいお話を心配顔で引き伸ばして、その時間の長さによって力ずくで感情移入させよう、という作りに思えた」
「いいところは?」
「幸いにも、その“力ずく”を可能にするくらい役者に演技力があった、というところかな。ラッセル・クロウもレネーもジアマッティも、どんな心情だろうが顔で表現しちゃえるのはさすがだね」
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