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2006/10/14

ワールド・トレード・センター

監督:オリヴァー・ストーン
出演:ニコラス・ケイジ/マイケル・ペーニャ/マギー・ギレンホール/マリア・ベロ/ジェイ・ヘルナンデス/スティーヴン・ドーフ/マイケル・シャノン

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3

【惨禍の中の希望】
 2001年9月11日、テロリストにより、NYの世界貿易センタービルに2機の旅客機が激突した。多くの警官や消防隊員と同じく、港湾警察のジョン・マクローリンやウィル・ヒメノらも、負傷者を救出するために建物内へと足を踏み入れる。その矢先、轟音を立てて崩れ落ちるビル。仲間たちは息絶え、ジョンとウィルも瓦礫の下敷きとなって身動きの取れない状態になってしまう。痛みに耐えながらジョンとウィルは、救助を待つのだった。
(2006年 アメリカ)

★ややネタバレを含みます★

【映画の意義と位置と役割とを知る】
 映画本編、あるいはクレジット・ロールやパンフレットからも、かなりの規模でNY市や警察、消防、マクローリンやヒメノ自身、救出にあたった人たちの協力を得たことがわかる。圧倒的な精度で崩壊した世界貿易センタービルを再現したことに加え、彼ら当事者の参加が映画のリアリティを高めることに寄与したのは間違いない。
 そしてその事実が、本作の意義を何よりも示している。

 9・11は確実に、社会レベルでも個人レベルでも世界を変えた。
 私自身、生中継で見た2機目の残像は一生、脳裏から離れることはないだろうし、あらゆる出来事は起こりうるということと、本作にも登場する「乗客のいない地下鉄」が明示するように、一昨日、昨日、今日と積み上げられてきた日常が明日も続く保証などどこにもないことを学んだ。
 わざわざ国家や政治などと結びつけるまでもなく、誰しもの心に何かを刻んだ9・11。そんな、パーソナルな視点・範囲・切り口でこの事件の一場面を切り取ったのが本作だ。

 それゆえ9・11を語る際に重要であるはずの“ビフォア社会とアフター社会の対比”も、前述の「乗客のいない地下鉄」程度。特にビフォア社会の日常はサラリと描かれるのみ。瓦礫の中のふたりと、彼らの身を案ずる家族とをカットバックすることに徹していて、思ったよりも小さく小さくまとめられている。
 たまたま舞台が9・11の世界貿易センタービルであるというだけで、それ以上の意味を持たせることを極力避けているような印象すらある(実際、救助に向かったはずの人が要救助者となる二次災害は、警官や消防士とその家族であれば常に抱えている危険であるはずだ)。

 ところが、パーソナルな物語であるはずなのに、マクローリンやヒメノの人物描写は意外なほど浅い(まぁほとんど瓦礫に埋もれているだけだし)。
 出勤前に子どもたちの寝顔を確認するマクローリン、生まれてくる第二子の名前について悩むヒメノなど家族とのつながりは最小限描かれるし、マクローリンが実直で信頼すべき上司であることも語られ、ヒメノ=マイケル・ペーニャのパトロールぶりは警官そのものに見えるが、それほど突っ込んで描こうという意識は感じられない。死と背中合わせで数時間を過ごした経験が彼らの心に落としたであろう闇にも言及されない。
 マクローリンもヒメノも英雄ではあるかも知れないが、決してスペシャルな存在ではないという立ち位置。痛ければ泣きわめき、あっさりと観念してしまう“人間”であるという前提。

 演出的にも手堅く正攻法、あるいは地味といっていい。スローモーションや音楽によるテンションの上げ下げはあるものの、大きく文法を崩したり意表を突いたりするようなことはなく、必要以上にドラマティックに盛り上げたり誰か個人を主役として祭り上げたりするような雰囲気は、まるでない。

 そういった姿勢を貫くことで浮かび上がってくるのが、仕事でも任務でもなく、当たり前のように「そこに助けを求める人がいるから助けに行く」という人々の行動だ。
 未曾有の大惨事にあって、どれほど多くの名もなき人々が、使命に突き動かされて、危険を顧みずに、この場所へと飛び込んだことだろう。
 もちろんそこには警官・消防士・軍人・看護士といったプロフェッショナルとしての職業意識もあったろうが、むしろ、個人の資質というか、役立つ能力があるから役立てるというシンプルな動機を強く感じた。警官や消防士だからではなく、酸素マスクを扱えたり救命の知識があるから、その力を発揮する。そうした行為に感動を覚える。
 いわば“持てる者のノブレス・オブリッジ”といったところだ。

 恐らく歴史の教科書には、事件のあらましと、せいぜい犠牲者の数しか記されないことだろう。だがその陰に、懸命に(でも当然の行為として)救助にあたった人たちと助け出された人たちがいるという事実をしっかりと記録しようとした映画が、ここに存在する。
 世界はクソだけでできているわけではなく、こうした輝かしい人たちによって支えられており、だからこそ守るべきなのだというメッセージを感じて涙する。

 これは、いわば人間賛歌である。「助けられてよかった」ではなく「僕らが助け合う生き物でよかった」という映画である。そしてアメリカでは、その輝かしくて守るべき世界の象徴として、映画という文化があるのだろう。そんな意識が強く根づいているからこそ警察も消防隊も、協力を惜しまなかったのだ。
 確かに、僕らが助け合う生き物でよかった。そういう感動がある。と同時に本作は、ある意味で、人間社会における映画の意義と位置と役割とを知ることのできる作品であり、そんな作品に出会えたことに対する感動もある。

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