フラガール
監督:李相日
出演:松雪泰子/豊川悦司/蒼井優/池津祥子/山崎静代/三宅弘城/徳永えり/高橋克実/寺島進/志賀勝/岸部一徳/富司純子
30点満点中16点=監3/話2/出4/芸4/技3
【炭鉱町の起死回生策は、冬の日本にハワイを作ることだった】
昭和40年、坑道の閉鎖が相次ぐ福島県いわき市の炭鉱町では、起死回生を賭けてハワイを模したリゾート施設が造られることになる。東京から招いたSKDのダンサー・平山まどかのもと、女子高生の紀美子をはじめとする炭鉱町の女性を“プロ”にするための特訓が始められるが、職を失った炭鉱の男たちや紀美子の母千代など、閉鎖的な町の人々はいい顔をしない。まどかと生徒、ダンサーと人々が衝突する中、オープンの時期が迫っていた。
(2006年 日本)
【甘さと頭の悪さの中に、光るものはあるけれど】
本作を楽しみたいならば、オバちゃんになることだ。後ろの席からは、しずちゃんが出てくれば「わっ、大きい」、床に撒き散らされた髪の毛を見れば「あら、切られちゃってる」、終始オホホ(またはケケケ)という笑い声が聞こえて、存分にこの映画を満喫しているようだった。
いや冗談ではなく、そういう映画。たとえば鉱山で「2000人がクビ切られるらしいぞ」という会話の後に「2000人に退職してもらいます」というセリフが繰り返され、岸部一徳が方言でまくし立てると「なまりが強くて、何いってるかわからない」という説明が用意され、愛を意味するダンスが披露されれば(前のシーンで、その踊りの意味が明かされているにも関わらず)「あなたを……愛してる…」との解説が入れられる。
世界がヨン様とホリエモンとハンカチ王子でできていると思っているワイドショー好きのオバちゃんにも理解できるような、懇切丁寧な作り。
その割に、肝心なことは何も描かれない。
物語の中心は、他に行くところのないまどか、狭い町から抜け出したいと願う紀美子、女は炭鉱で働く男を支えるものと信じる千代、3人の“強いオンナ”であるはずなのだが、そのような立場へと自分を置くに至った心情の揺れや、いま何を目指して生きているのかが、まるで描かれない。主役といえる3人の立ち位置が不明確なので、こちらもどこに軸足を据えればいいのか戸惑ったままでお話が進むのだ。
それ以上に最悪なのは紀美子の兄&千代の息子である洋二朗で、行動がバラバラ。いったい何をしたいのか、この男は。
また、舞台は高度成長期にあって「変わらなければ生き抜けない」と切羽詰った昭和ニッポンの炭鉱町。そこでの個人の変化が重要なテーマとなっていて、実際に何人かが変化を示すのだが、前置きなしに立場・態度・心情をコロっと変えられても、ねぇ。いきなり「いいオンナになったな」とかいわれても、ねぇ。
その変化の理由・過程をこそ、タップリと見せるべきではなかったか。
映画的な面白さ・興奮も少ない。
たとえば、フラガールズたちが食事をしながら、テーブルの下ではステップを練習しているカットのような「それ!」と思わせる楽しさがもっとあったなら。あるいは、本当にスゴイもの・美しいもの(まどかと紀美子のダンス)は“ただそのまんま”撮るべきなのに、わざわざ「すごい」と登場人物に感想をいわせたり、スローモーションにしてみたりといった愚挙を犯さなかったならば。
奥行きが足りず、工夫も少なく、かと思えば余計なことをしてしまい、結果としてただ状況を追うだけに終始している、という印象。『スウィングガールズ』がガールズたちの質の低いプロモーションだったのと同様に、本作もフラガールズと常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)の程度の低いプロモーションにとどまっている。まぁ最初からそれが狙いの映画なんだけれど。
比べるのは先方に失礼かとは思うが、炭鉱+ダンスという同じフォーマットを持つ『リトル・ダンサー』(スティーヴン・ダルドリー監督)のほうが映画としても物語としても2億倍くらい優れている(まんま『リトル・ダンサー』をパクっているシーンもあったし)だろう。
とはいえ、ポイと捨ててしまうには惜しい部分も持っている。
まずは昭和40年の炭鉱町の再現。これはもう鮮やか。実際にはそんなところに行ったことなんてないんだけれど、寒々として未来のない空気の質までよく出せていると感じた。ダンス練習場にただよう光なんて、昭和そのもの。松雪泰子の化粧・衣装、ゴトゴトと走るクルマ、破れたフスマ、ほつれたニット帽など、細部に渡って「びんぼーな昭和」が徹底されている。
町の灰色と、ダンサーたちの赤、その対比も(演出意図よりも画面への乗っかりかたが)鮮やかで、長めのカットでもイライラさせない緊迫感と密度感が各画面にはある。
常磐ハワイアンセンター建設に至る経緯をバッサリ切り、造られること前提でお話を始め、その後も状況説明に時間を割かなかったテンポのよさも評価したい。
前述の3人の女性を演じた女優たちも見事。
まどか役の松雪泰子は、コントっぽい芝居から涙までの振幅を無理なく表現するとともに、立ち姿が力強く、貫禄の女優ぶり。紀美子の蒼井優は柔軟性と健やかな色気を十分に発散させて、台詞のないカットでも存在感を示した。富司純子は、腰のすわった声で場面を締める。それぞれが、指先と足先、首の角度や口の動かしかた、視線にまで気を配った演技を見せてくれた。
ワキも、紀美子の親友・早苗を可愛く健気に演じた徳永えり、ふわふわとした初子の池津祥子(この人の出す味って好き)、しずちゃんによるのっそり小百合と、バランスがいい。
ひとりだけハイカラ、けれど先端には成り切れない松雪まどかを、昭和美人ともいえる蒼井優と徳永えり、昭和の生き残り的なルックスを持つ池津祥子と山崎静代が囲む、というキャスティングの見た目も上々だ。
クライマックスのダンスも小気味いい。
そうしたパーツのよさも伝わってくるからなおさら、頭の悪さ、物語とキャラクター背景を練り上げる腕の稚拙さ、いたってフツーの演出といった、作りの甘さが惜しまれる。
まとめれば、「頼むから蒼井優をオレにくれ!」という映画。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント