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2006/11/04

リバー・ランズ・スルー・イット

監督:ロバート・レッドフォード
出演:クレイグ・シェーファー/ブラッド・ピット/トム・スケリット/ブレンダ・ブレシン/エミリー・ロイド/ウィリアム・フットキンズ

30点満点中16点=監3/話3/出3/芸4/技3

【古き時代、川のほとりで育った兄と弟】
 1900年代初頭、モンタナ州ミズーラ。ブラックフットと呼ばれる川のほとりで暮らすマクリーン家。兄ノーマンと弟ポールは、厳格な牧師の父に読み書きを教わり、あるいはフライ・フィッシングの手ほどきを受けながら成長する。やがてノーマンは遠地の大学へ進み、ポールは地元の新聞社へ。久しぶりに帰省したノーマンは美しい娘ジェシーと恋に落ち、ポールは相変わらず破滅的な性格のまま、ポーカーにのめり込んでいた。
(1992年 アメリカ)

【教わることは多いのだけれど】
 この時代というのは、なにもかもが大雑把でいい加減だったのだろう。またモノもカネも、現代ほどには潤沢ではなかったはず。悪名高い禁酒法の存在は別として、必要最低限のシステムで運営される社会、あとはその場その場に応じて、といったところか。

 ただ、この映画を観ていると「必要最低限」というのは、決して「不足」を意味するのではなく「それで十分」なのだと感じられる。いいたいことを簡潔に伝えられる文章構成能力と、信仰と、川と魚と釣竿と、そして家(ホームあるいはファミリー)があれば、幸せは手に入るのだ。
 もちろん、家族といえど他人、価値観の相違は生まれる。けれど共通のバックグラウンドがあるから、少々の相違に揺らぐことはない。そして、余分なものがないから、たがいの共通点も見出しやすい。
 書いた文章を捨てさせる父親、釣りに出かける父子を見送る母、適度な距離を置きつつも相手の生きかたを見つめ続ける兄弟、笑いかけるだけで意志を通いあわせてしまう家族……。そんなシーン/カットは、何も持たず多くを望むこともないマクリーン家が、確かに“同じ場所”に立っていることを知らせてくれる。

 たぶん、どこかに危うさは漂うけれどここは「善い」世界であり、それをストレートに描いた「善い」映画でもあるのだろう。
 しかめっ面のクレイグ・シェーファー、若々しいブラッド・ピット、肉体派かと思っていたのに意外と渋いトム・スケリット、純朴さと浅さとを併せ持つエミリー・ロイドなど、役者は上質だし、こういう音楽を作らせたらマーク・アイシャムはさすがに巧いし、宙を漂う釣り糸やモンタナの自然をクッキリと捉えたカメラもいい。

 ただ「いい」世界、「いい」映画とは、あまり思えないのはなぜだろう。
 瑞々しさがあり、大事件の少ないストーリーの割には最後までしっかりと見せる手堅さと流れの良さがあり、メッセージも多分に込められてはいるのだけれど、観る者の中にある“何か”が本作の中にある“何か”と響きあわないと「ふ~ん、それで?」で終わってしまう危険性を秘めた映画ではないかと思う。

 で、自分としては、その響きあう部分がなかった、ということだ。
 デキのいい(というか、ちょっと突き抜けたところのある)弟を持った兄というのはノーマンと自分との共通項なんだけれど、不思議とダイレクトにハートへと迫ってこない。
 たぶん自分自身の根っこが、こういう世界……家族・故郷・信仰を中心とした、小さいけれど温かなコミュニティ、そこに不必要なものはなく、必要なものだけがある、という世界……には、ないせいだろう。
 悪くはないんだけれど、モヤモヤの残る作品だった。

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受信: 2006/11/07 19:38

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