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2006/11/30

ALWAYS 三丁目の夕日

監督:山崎貴
出演:吉岡秀隆/堤真一/小雪/堀北真希/須賀健太/小清水一揮/三浦友和/薬師丸ひろ子

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4

【夕日の中、東京の下町で】
 昭和33年、建設中の東京タワーに見下ろされた下町。駄菓子屋を営む売れない作家・茶川は、飲み屋の女将・ヒロミから頼まれて、母親に捨てられた淳之介を預かることになる。笑顔を見せない淳之介だったが、茶川が『少年冒険団』の作者と知って、次第に元気になっていく。いっぽう、お向かいの自動車修理工場・鈴木オートには、青森からの集団就職で六子が到着。働き者で明るい六子だが、暮れが近づくに連れて、どうも浮かない顔になる。
(2005年 日本)

【映画らしさと昭和を味わう】
 ロクちゃんこと六子の、しり込みするようなお辞儀、真っ赤な頬っぺ、はじける笑顔。この堀北真希は、すこぶる可愛い。お約束として「オレにくれ!」といっておこう。
 淳之介が見せる、本当に嬉しいときと、本当に悲しいときの顔。須賀健太君、さすがである。
 母を取り戻す少女と、母を失った少年。物語の軸となるこのふたりが、そのまま本作を読み解く鍵となる。

 とにかく昭和。クドいほどに昭和。昭和の見本市とでもいいたくなるほどの仕上がり。集団就職、テレビがはじめてやって来る日、オート三輪、駄菓子屋、ラムネ、フラフープ、物売り、ホーローの看板、角のタバコ屋、土管で遊ぶ子どもたち……。
 力の入ったCGとセットで再現される昭和は、ちょっと作り物っぽさはあるものの、確かにこういう色とニオイをしていた。集団就職(いま思えば、ほとんど人買いだな)以外は、全部身近にあったもん。

 その“昭和”を、あるときは大仰に、あるときはチマチマと映す。ベタベタでたいした展開のないストーリー、脚本の上に印刷された文字が見えるような「セリフらしいセリフ」、どこかで聴いたようなBGM、ワイプによる場面転換……。
 映画の作りとしても、ちょっとクドいというか、洗練されていないというか、昭和テイストがぷんぷんと醸し出されている。

 で、クドい見た目に悩まされながら「この映画って“昭和”をどう考えているのよ」という思いを抱きながらモヤモヤとした気分で観ていたのだが、クライマックスで鮮やかにその答えを出してくる。
 そうか、昭和って「自立」の時代なのね。母=保護してくれる存在と自分との関係を見つめ直し、自分の立ち位置を見つけ、そこに自分の足で立つためには、自分以外の他者(との関わり)や、そこに立っていていいんだと信じられる拠りどころ、あるいは辛抱我慢が必要である、そんなことを認識するために昭和はあったのだな。
 いわば、自分で立っていると同時に、誰かに立たせてもらっている、という価値観。そういうメッセージを、六子と淳之介に背負わせたのだ。

 そして東京タワー(昭和の日本人そのものの象徴なのだろう)は、すっくと立つ。来る日の晴れを約束する夕焼けをバックにしながら。
 いや、曇ったり降られたりする日もあるんだけれど、チャンネルをひねれば小さなブラウン管から目の前一杯にプロレスが飛び出すように、ほんのわずかな光だけで希望を抱くことができて、闇雲に明日を信じられた時代が、そこにあった。

 邦画にありがちな間延びや、アクマ先生の扱いが中途半端になっているなど詰め切れていないところはある。テレビ放送時にCMを入れやすいよう設けられたブラックアウトも気にかかる。が、見た目の昭和っぽさに気を取られがちだけれど、その奥には1つのテーマ/メッセージがあって、その主張を手抜きのない世界構築とともに伝えようとしていることが、わかる。
 そういう意味で、かなり映画的な映画といえるかも知れない。

追記:妻によれば「薬師丸ひろ子も小雪も子役たちも小奇麗すぎる。あの時代の人たちって、おばちゃんもお姉ちゃんも子どもも、もっと汚かったぞ。それにニオイがしない。昭和ってのはドブ川のニオイなんだよっ」

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2005年 日本 監督:山崎貴 脚本:山崎貴 原作:西岸良平 『三丁目の夕日』 [続きを読む]

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