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2007/01/17

硫黄島からの手紙

監督:クリント・イーストウッド
出演:渡辺謙/二宮和也/伊原剛志/加瀬亮/中村獅童/松崎悠希/裕木奈江/ワタナベ・ヒロシ/サカガミ・ノブマサ

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4

【勝ち目のない戦いの地で、手紙は書かれた】
 太平洋戦争末期。栗林忠道中将は、重要戦略拠点として位置づけられる硫黄島に赴任する。先任の士官たちは海岸線の死守や玉砕覚悟の攻撃にこだわるが、栗林は全島に洞窟を掘って抗戦することを提案、と同時に「命を無駄にしないこと」を唱える。が、やがて始まった米軍の攻撃に、防衛拠点・摺鉢山は陥落、兵士たちが斃れていく。死の影は、内地に残してきた妻子への手紙を綴り続ける兵卒・西郷の近くにも確実に迫りつつあった。
(2006年 アメリカ)

★ネタバレ=エンディングに関する記述を含みます★

【そこに差などない。が、やはり差は存在する】
 硫黄島での戦闘を日米双方の視点で描く「硫黄島二部作」の日本ヴァージョン。先行作『父親たちの星条旗』と共通のシーンが用いられ、また『父親たちの星条旗』と同様に極端に色の削られた世界(そこに、日の丸よりもさらに鮮烈な血と炎の赤が飛ぶ)が作られて、まさに“対”をなす作品であることがうかがえる。
 ただし『父親たちの星条旗』が“彼我の差”をモチーフとしていたのに対して、こちらは逆に“差などない”と告げるのが印象的だ。

 捕虜となった米兵サムの母親からの手紙によって、日本の兵たちは、いま戦っている相手が自分たちとなんら変わりのない「愛されて育ち、故郷を離れた優しき青年」であることを知る。
 負傷兵として横たわる西郷の肌は、その隣に仰臥する米兵よりも白い。
 そう戦争とは、同じ人間どうし、たいして“差などない”者どうしが殺し合う場にほかならないのだ。

 いや、殺し合いの場ですらない。ここはもう、ただ死ぬための場だ。くしくも西郷が冒頭で述べたように、彼らは自らの墓穴を掘り、そこを命がけで守っていただけなのだ。
 もしも信念のため愛する人のため、決して交わることのできない凶悪な敵と戦わねばならず、その結果として散るのであれば、ひょっとすると魂も救われるのかも知れない。だが、ここで戦っているのは、敵国で暮らしたこともあり、そこに友人もいる栗林や西といった士官である。戦いの意味やきっかけなど無視して古い観念で凝り固まった上官に率いられた、若い兵たちである。彼らの戦いに大義名分などなく、ただ死ぬために銃を取る。そこが洞窟なのか海岸なのか、先頭の序盤なのか終盤なのか、機銃で撃たれるのか自決なのか、場所とタイミングと方法がわずかに異なるだけ。
 みな等しく“死”であり、そこに“差などない”。

 加えて衝撃的なのが、内地から送られてくる少年少女の歌である。兵たちを励ますための歌声は、私の耳には「そこで死ね」というふうに聞こえる。戦地の前線においては、「激励」と「死の通告」は差なく等しく結ばれるのだ。
 戦争(少なくとも太平洋戦争または硫黄島での戦闘)は、“死”と差なく等しく、完璧にイコールで結ばれる同義語であり、その“死”とは人生の終着地ではなく人生の意味を無効化するもの、すべての人間を差なくゼロへと導くものだという事実が、じわりと浮かび上がってくる。

 こうして“差などない”ことをキーワードとして進む映画であるにも関わらず、本作では全編において「それでも人と人とは交わることができず、私とあなたと彼との間には、決定的な差が存在する」という視点が貫かれる。
 見上げる・見下ろすという視点(アングル)が多用されているのである。まるで「人と人は、決して同じ目線で語り合うことなどできない」と伝えるかのように。
 戦争は確かに悲劇ではあるが、戦争の前提として存在するこの「私とあなたと彼とは異なる」という意識こそ、人間が抱えるさらに大きな悲劇ではないだろうか。

 悲しみの深さとやるせなさは文字や絵となって、届く保証のない手紙として書き続けられていく。ラスト、60年のときを経て撒き散らされるそれらの手紙は、島で戦った兵士たちの、というよりも、われわれ人類すべての悲しみを吐き出すようである。
 いっぽうで、「わたしとあなたと彼との間には、差がある」という事実は、人間個々の独自性を保証するものでもある。ただひたすら“等しい死”へと至るまでの期間を描くこの作品の中で、いくつもの手紙が書き綴られるのは、「ほかの誰でもない、わたしという人間が、ここに生きていた」ことの証を遺そうとする、人間の自己実現のあらわれといえるだろう。

 重層的な構造を持ち、美術・撮影・音響・編集に鮮度もあった『父親たちの星条旗』のほうが、映画としてのデキは上だろう。が、本作にも「まさかここまでのクオリティを持つ『日本(人)の映画』を、アメリカが作れるとは思わなかった」という驚きがある。
 なにより、これほど明瞭なメッセージを発信する2本の大作を、きっちりと“対”をなすものとして完成させたクリント・イーストウッドには大きな感謝を捧げたい。
 戦争を知る者も知らぬ者も、アメリカ人も日本人もそれ以外の人も、私とあなたと彼との“差”というものを意識しつつ、観るべき2本であろう。

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