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2007/02/02

アモーレス・ペロス

監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:エミリオ・エチェバリア/ガエル・ガルシア・ベルナル/バネッサ・バウチェ/マルコ・ペレス/ホルヘ・サリナス/グスターボ・サンチェス・バラ/アルバロ・ゲレロ/ゴヤ・トレド/ロドリゴ・ムライ・ブリサント/ホセ・セファミ

30点満点中19点=監4/話4/出4/芸3/技4

【青年と男と老人、そして犬。運命がまじわる交差点】
 兄ラミロに虐げられる義姉スサナの身を案じるオクタビオ。彼は飼い犬のコフィを闘犬に仕立てて、稼いだ金でスサナと逃げようと考える。家族を捨て不倫相手のモデル・バレリアと暮らし始めた雑誌編集長ダニエル。だがバレリアとその愛犬リッチーに思わぬ不幸が降りかかる。多くの犬とともにゴミを漁るエル・チーボ。殺し屋としての顔も持つ彼は新たな仕事を引き受けるが、生き別れた娘が気がかりだった。3つの運命が、交差する。
(1999年 メキシコ)

【当たり前だけれど『才能』って大事なんだ】
 複数エピソードをクロスオーバーさせる、という作劇法は、傑作を生み出しやすい構成といえるだろう。当ブログで取り上げた同種・同型の作品(文末参照。どっちかというと『群像劇』に分類されるものもあるが)で考えると、勝率8割以上といったところか。

 本作の場合、個々のエピソードは、感情移入しにくいというか、単一のストーリー映画としては成立しにくいものかも知れない。問いも答えも解決もなく、ひたすら提示・描写するだけで、おまけに気分を暗くさせる。
 が、「エピソードの結びつき」という仕掛けよりも、オクタビオとスサナとラミロ、ダニエルとバレリア、エル・チーボと彼に関わる人々、おのおのの生活をコッテリと描くことに注力した結果、作り物ではない人生を観た、という充足感を得られる映画になっている。それぞれのエピソードに不思議な“太さ”があるのだ。
 誰が、あるいは何が悪なのか。生きていくことのリアル。生きていかざるを得ないことの苦しみ。そんなことを考えさせる“濃さ”もある。
 真っ黒に汚れた海からささくれ立ったロープが伸びていて、それを力任せに引き上げると、次から次に思いもよらなかった獲物が現れるような、そんな“怖さ”も覚える。
 そうした密度の高さゆえに、クロスオーバーという仕掛けだけにこだわるよりもかえって「1つのストーリー(ひとりの人生)は単独で存在するわけではなく、偶然の交わりが大きく進行・展開に作用する」という事実を強く訴えかける映画となっている。

 とはいえ、そうしたストーリー性よりも心を惹かれるのは、卓越した画面作りのセンスだ。
 フレーミングのダイナミックさ。狭い部屋、臭いニオイに満ちた路地を画面上に再現する空気感。対象物をクッキリと浮かび上がらせるフォーカスの使いかた。望遠から近接までを使いこなして、その場に居合わせている感覚を作り出す、人物・出来事との抜群の距離感。静かなシーンにも「次に何が起こるのか」という緊張を与える編集の巧みさ。
 これらはもう技術が高いというより、センスがいいと評するしかない。撮影は、やはりカットの作りかたが絶妙だった『8 Mile』『25時』のロドリゴ・プリエト。編集は監督自身。この人たちの体内にある距離感やリズムが、この映画を傑作たらしめているのは間違いない。

 当たり前のことなんだが、いいモノを作り出す源泉は“才能”なのだなぁということを再認識させられる、そんな映画である。

●クロスオーバーもの●
『クラッシュ』(ポール・ハギス監督)
『THE 有頂天ホテル』(三谷幸喜監督)
『ラブ・アクチュアリー』(リチャード・カーティス監督)
『ザ・ペーパー』(ロン・ハワード監督)
『大停電の夜に』(源孝志監督)
『SURVIVE STYLE 5+』(関口現監督)

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