ポビーとディンガン
監督:ピーター・カッタネオ
出演:クリスチャン・バイヤーズ/サファイア・ボイス/ヴィンス・コロシモ/ジャクリーン・マッケンジー/ロバート・メンチェス
30点満点中17点=監3/話4/出4/芸3/技3
【想像の友だちが行方不明になって】
南オーストラリア、オパール鉱山の町。ひたすら掘り続けるパパ、パートで家計を支えるママ、長男のアシュモル、その妹ケリーアンからなるウィリアムソン家が抱える問題は、パパが盗掘の嫌疑をかけられたことだけではなかった。ケリーアンの“想像の友だち”であるポビーとディンガンが行方不明となり、以来ケリーアンは衰弱していってしまう。妹の身を案じたアシュモルは、ポビーとディンガンの似顔絵入りの張り紙を町じゅうに貼る。
(2005年 オーストラリア/イギリス)
【夢を見て生きていくことも、悪くはない】
深く掘りすぎると戻れない。それはみんなわかっている。でも、広大な大地が四方へ果てしなく続いているのに下へ掘り進むことでしか未来をつかめない場所が、夢の残骸が高く積まれた土地が、ここにある。
そんなふうに、冒頭から「オパールを掘って儲けること」は不確かな夢であると明示される。
でも考えてみれば、夢を信じ続ける(または、すがりつく)ことも、現実を直視することも、しょせんは生きる手段にすぎないのであって、たいした違いなんてない。どうせ、たかだか80年の命。信じ続けて、と同時に大切な家族を守って、小さく生きていくことも、悪くはない。
たぶんアシュモルは、そういうことを理解しているのだろう。もっと楽でスマートな生きかたもあったはずなのに、わざわざこの人生を選んで、疑いなく進んでいく父親の姿が誇らしくて「パパはスゴイ」というのだ。
ひょっとするとパパがもっと堅実な人生を選んでいたとしても「スゴイ」といっただろう。それくらいアシュモルは“生きることの何たるか”を知っているように思える。といういいかたが大袈裟だとしても、少なくとも彼は、何か問題が起こったとき、自分に何ができるのかを考え、行動に移せるだけの賢明さを持っている。
抜群のナチュラルさでアシュモルを演じるクリスチャン、ホントに病気なんじゃないかっていうくらいの存在感を示すケリーアン役のサファイアちゃんを中心に、真っ直ぐに生きる人たちを真っ正直から捉えた映画。
ブランコやお皿やキャンデーを使って、ポビーとディンガンの“存在”をきちんと印象づける上手さもある。
で、いくら疑いなく真っ正直に生きようとしても、時には、不確かな足場に立っている自分が不安になる。だから、あの葬式は住人みんなにとって必要なものだったんだ。
深く掘りすぎて戻れなくなっても、ちゃんと骨を拾ってくれる人がいると信じられる、そのための葬式。夢の終わりを告げるのではなく、夢はずっと生き続けることを確認するためのイベント。
ちっちゃな映画だけれど、そういう“人生の真理”を優しく詰め込んだ作品だ。
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