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2007/04/13

隠された記憶

監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:ダニエル・オートゥイユ/ジュリエット・ビノシュ/モーリス・ベニシュー/レスター・マクドンスキ/アニー・ジラルド/ダニエル・デュヴァル

30点満点中17点=監5/話2/出4/芸3/技3

【誰の仕業か、そして、どう対応すべきか】
 TVマンのジョルジュ、出版社勤務のアンヌ、12歳になる息子のピエロからなるローラン家。ある日その玄関先に、血を吐く子どもの絵と1本のビデオテープが届けられる。映っているのは、彼らの家。以来、たびたび届けられる絵とビデオテープの中身は、次第にローラン家のプライバシーに踏み込んだものとなる。やがてジョルジュは、ひとりの人物を思い出す。子どもの頃に彼のウソによって追い出された使用人の息子マジッドだった。
(2005年 フランス/オーストリア/ドイツ/イタリア)

★ネタバレを含みます★

【衝撃と緊迫感と狂信と】
 いやはや、とんでもない映画もあったもんだ。
 という感想を抱かせることに加えて、鑑賞後に困惑と脱力感をもよおすところといい、結果ではなく過程を描く作劇ベクトルといい、観客を乗せて不時着させる豪腕といい、『殺人の追憶』と同じ遺伝子を持つ作品といえるだろう。

 最終的に「誰がビデオテープを送ったのか」は明らかにされない。DVDの特典映像で監督が述べている通り、観察者についてのWHOやWHYはさほど重要ではなく、あるいは観客個々が思索すればよいことで、本作で描きたかったのは脅迫された側、巻き込まれた人々のHOW。
 まさに、その思惑をまっとうする作りになっている。

 まずオープニングカットが衝撃的。この“はじまり”を観るだけでも価値のある映画かも知れない。しかも、こいつが後々になって効いてくる。いまわれわれが観ているのは送られてきた「ビデオテープの映像」なのか、それとも「映画」なのか、そんな不安感を与える構造的な仕掛けがスゴイ。
 さらに、ローラン家が味わっているのと同じ居心地の悪さと嫌悪感を、観客にもたっぷりと与え続ける。撮ろうと思っても撮れるもんじゃないニワトリのダンス、不意の血しぶき、生半可なホラーがケツをマクって逃げ出すエレベーター内の緊迫感と恐怖……。
 引き気味の画角が多いかと思えば、いざ寄ったときにはダニエル・オートゥイユもジュリエット・ビノシュも目一杯の演技をカメラに向かって叩きつける。セリフを聞かせずに「何が話されているか」を理解させる。ワンカットでダイニングの様子とワインを妻に注いでやる夫と親子のキスをうつしてローラン家のほぼすべてを拾い上げる。

 流れる時間はイライラするほど緩やかなのに、映画における重要なピース=音楽を一切排しているのに、決して薄味にはならず、ギシギシと音を立てるかのような密度の濃いシーンが続く。
 これはもう、自分のやっていることに確信(あるいは狂信)を持っているものにしか撮れない映画だ。

 面白いわけじゃない。カタルシスなどあったもんじゃない。また、例によって観客にゲタを「預けすぎる」作品はどうしても好きにはなれない。
 だが、時間の流れと人の動きとカメラの動きとを完璧にコントロールすることで“映画”が生まれるという事実を、再認識させてくれる意義ある作品ではある。

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