ラスト・マップ/真実を探して
監督:ジョーダン・ロバーツ
出演:ジョシュ・ルーカス/クリストファー・ウォーケン/ジョナ・ボボ/グレン・ヘドリー/マイケル・ケイン
30点満点中16点=監3/話2/出4/芸3/技4
【その旅路の果てに、待つものは何か?】
銀行員のジェイソンは30年前の事故で母を亡くし、自身も右脚が不自由となり、父も失踪。いまは元考古学者の祖父ヘンリーと飼い犬のスカイ、看護師カトリーナ、幼い息子ザックとともに暮らす。祖父の死期が近づく中、不意に姿を現した父ターナー。ヘンリーは歓待するが、ジェイソンは喜ぶ気になれない。そんな折、ヘンリーが急死、その遺言をもとに、ターナー、ジェイソン、ザックの親子三代はボロ車に乗って旅に出ることになる。
(2004年 アメリカ)
【内容は、ないともいえるし、あるともいえる】
ザック役のジョナ・ボボ君、絶対にどこかで観た顔だと思ったら『ザスーラ』の弟君。本作の方が、ナチュラルで可愛くって上手い。
この子だけじゃなく、キャストを観る映画か。ジョシュ・ルーカスは巻き込まれキャラを脚を引きずりながら自然体で演じ、マイケル・ケインは出番が少なくても存在感たっぷり。カトリーヌ役のグレン・ヘドリーはデンマーク人になり切っている。
で、クリストファー・ウォーケン。初登場シーンの背中なんか、もうこの人にしか出せない渋さ。衰弱した顔もまた渋く、ほとんど発声せずカスレ声でつぶやくセリフに味がある。
こうした人物たちの周囲には、常に光と影が配される。人生は明暗に彩られている、ということを示すように。ゆらゆら流れているかと思うと急速に時間が進むテンポの緩急も効いている。
が、どうにも舌足らずな映画だ。
ターナーとジェイソンが対峙するクライマックスでの会話以外、登場人物たちの背景にはまったくといっていいほど触れられていない。この作品に出てくる人たち、すべてが「何者でもない」存在になっているのだ(30年間音信不通の父、というのは、確かにジェイソンにとっては何者でもない存在なのだろうが)。
親子四代の生き様や価値観がほとんど不明のままお話が進むので、まったく知らない人たちの道行きに付き合わされている気分。
犬とかホラー映画とかチキンとか、それっぽいファクターも散りばめられてはいるが、“誰の、何のための映画か”が判然としないため、解読のしようがない。
だから「家族の再生もの・ロードムービー」としては不完全燃焼であるわけだが、いっぽうで「人生の真理もの」として捉えると、迫ってくる事柄がいくつかある。
たとえば人間の死は、日常大量に消費されるフライドチキンに重い意味を与えるものであるという事実。あるいは人間の死は、終わりや消滅ではなく過去を掘り起こすきっかけになりうるという事実。そして人間の死が、想いもよらなかった方法で役立てられる(虐待を受ける犬シルバーの件)という事実。
またターナーの「過去を語ってもどうにもならない。いまの話をしよう」というセリフは、そりゃあ欺瞞に満ちているようにも思えるけれど、各人物の背景が語られていないことのエクスキューズとして機能するとともに、いま眼前にあるものをそっくり受け入れることが生きることだという示唆としても迫ってくる。
全身麻酔による擬似死(っていうほど大層なもんじゃないんだろうけれど)を経験して以来、死について考えることが多くなった。過去を振り返ったり未来を夢想したりする機会も増えた。
が、死は自分に何かをもたらしたり何かを奪ったりするだけでなく、残された者に何かを与えたり考えさせたりするものでもある、という当たり前のことを、そして、自分の身のまわりにある「現在」こそがもっとも大切でもっとも確かな時間である、という人生観を、再認識させてくれる映画ともいえる。
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