エニイ・ギブン・サンデー
監督:オリヴァー・ストーン
出演:アル・パチーノ/キャメロン・ディアス/デニス・クエイド/ジェイミー・フォックス/ジェームズ・ウッズ/マシュー・モディーン/アーロン・エッカート/LL・クール・J/ローレンス・テイラー/ジム・ブラウン/レラ・ローション/ローレン・ホリー/エリザベス・バークレイ/クリフトン・デイビス/チャールトン・ヘストン/アン=マーグレット
30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技3
【日曜には、なんでも起こりうる】
プレイオフを前に連敗中のマイアミ・シャークス。おまけにエースQBのキャップが負傷、代わって出場したウィリーは活躍を見せてスターになるものの、天狗になってチームメイトからの信頼を失う。ディフェンスの要であるシャークの不調、RBワシントンのわがまま、本拠移転を画策しているらしいオーナーのクリスティーナ、チームドクターの勝手な行動など、ヘッドコーチであるトニー・ダマトの周囲には悩みの種が尽きないのだった。
(1999年 アメリカ)
【チームスポーツの真理を説く】
MUTEにされるスポーツニュース、グラスの中で踊るウイスキー、流れる雲、ひそめられる眉といった細かな部分を適確に拾い上げることで、画面に生まれる密度と緊張感。こうした映画的技法にTVのスポーツ中継的な方法論を織り交ぜながら、シーンが作られていく。
フットボールの試合中のフィールドで、あるいはロッカールームで、スタジアムの天楼で、練習用のグラウンドで、選手たちのプライベートで、何がおこなわれているかが描かれる。試合シーンでのスローモーションはもう少し抑え目にしてリアルタイム性を大切にして欲しかったと感じるし、誰かひとりの苦悩でいいからもうちょっと掘り下げるべきだったとも思うが、なかなか迫力のある映像と、説得力のあるエピソードが連続する。
そこで語られるのは、チームプレイとは何か、チームリーダーとは何か、プロのプレーヤーとは、勝利とは、スポーツビジネスとは、戦いの場における世代や価値観の差とは……といった、スポーツにおける真理。
わずか2つの勝利だけで1選手をスターに祭り上げ、緊張のあまり吐き出したゲロがネタとして扱われる下世話なこの世界で、自分を見失わないでひとりのプロフェッショナルあるいはファイターとして生き続けるためには、プライドと、チームメイトとの信頼関係こそが大切だと説かれる。
いってしまえば、それは、妄信。自分はその1インチを乗り越えられる、彼はその1インチのために命を捧げてくれる、そう盲目的に信じることで得られる個としての強さ・集団としての強さ。
もちろんそこに、厳しい練習に耐えてきた自信とか冷静な観察眼、特定のプレイヤーどうしの間に芽生える特殊な感情などもあっていいのだろうが、むしろ闇雲に、理屈を超えたところで「オレにはできる。ヤツにもできる。みんなできる」と信じ抜くことが、勝利をつかむには何よりも大切なのだ。
もし自分が何かのチームを率いるようなことがあれば、トニー・ダマトのようなスピーチをぶちかまして、ロッカールームにアドレナリンを撒き散らし、メンバーの妄信を惹起したいもんである。
といった、戦う者たちの意志に満ちた、汗臭いスポ根ドラマ。ダミ声のアル・パチーノも、いきがったジェイミー・フォックスも、はしゃぐチームメイトたちも、あとワニも、生き生きと“戦う者”たちを演じる。
でも、いちばん印象的なのはクリスティーナの姿。(字幕では誤魔化されていたけれど)ダマトを「トニーおじさん」と呼ぶことから、彼女がどれくらい長い間シャークスとそのコーチを見守ってきたかがわかる。母親のセリフやクリスティーナ自身の表情から、彼女が「本当は自分も男に生まれて、選手やスタッフたちと同じ目線でチームについて語りたかった」と願っていることがわかる。優勝リングに注ぐ視線からは、誰よりも勝利に渇望しているのはクリスティーナであることがわかる。
だからこそ、あるときは非情に徹して、彼女は彼女なりの方法でチームを強くしようと行動するのだ。クリスティーナの心の汗を、陰鬱にならないようキャメロン・ディアスはよく演じ、オトコ臭いこの映画に潤いを与えていたように思う。
そんなわけで例によって、キャメロン・ディアスをオレにくれ。
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