ヘイフラワーとキルトシュー
監督:カイサ・ラスティモ
出演:カトリーナ・タヴィ/ティルダ・キアンレト/アンティ・ヴィルマヴィルタ/ミンナ・スローネン/メルヤ・ラリヴァーラ/パイヴィ・アコンペルト/ロベルト・エンケル/ヘイキ・サンカリ
30点満点中16点=監3/話2/出4/芸4/技3
【神様、どうか普通の家族にしてください】
パパのマッティはジャガイモの研究に没頭中、ママのハンナは「外で仕事がしたい」と不満を漏らす家事オンチ、妹のキルトシューはいうことをきかない甘えん坊……。この一家は、お姉ちゃんのヘイフラワーでもっているようなものです。でもヘイフラワーが小学校に入学するまで、あと1週間。もし、あたしがいなくなったら家の中はどうなっちゃうんだろう。ヘイフラワーは神様に、パパのこと、ママのこと、妹のことをお祈りするのでした。
(2002年 フィンランド)
【可愛さ120パーセント】
しっかし、この姉妹は可愛いなぁ。ロリ心直撃。
お姉ちゃんのヘイフラワーの、お祈りする姿のノーブルさがきっちりと捉えられるし、妹のキルトシューは“ようやく人間になったばかり”の子どものムチャクチャさを発散させる。特にキルトシュー役のティルダ・キアンレトちゃんは、15年、いや10年後が楽しみな美形だ。お芝居も、なかなかのものだし。
強い発音が多い(ように聞こえた)フィンランド語も、姉妹のヴィジュアルや性格にマッチする。
このふたり+両親が暮らす家も、また可愛い。間取り、壁紙、家具の形、周辺の環境まで、すべてが「どっかにあるかも知れないけれど、いままで見たことない」というエキセントリックさ。日本やアジアだけでなく西欧にもそうそうない色彩感覚のように感じる。本国の人にとっては“フツー”なのかも知れないが、われわれにとってはかなりショッキングで、こういうところで子どもはどんなふうに育つんだろうか。
パパとママもちょっとデフォルメされた“おかしな親”で、なるほど、こういう両親からはこういう子たちが生まれるのだな、と納得。
オープニングで、家の中と周辺、家族の様子を順繰りに映していって、自然とこの世界へ観客をいざなっていくのもいい。
そうした可愛らしさを真っ向から描こうとするのが本作。というか、それだけ、という感じの映画。
一応は「世の中にはトラブルを起こす者と、それを解決する者がいる」ということを中心に、家族それぞれの役割、隣人の役割、小さな社会といったテーマが詰め込まれてはいるんだけれど、なにしろ子ども向け童話的なストーリーを真っ向から描いているだけなので、深みとか核とか映画的な面白さとかは希薄。
うちの子も、こんなだったわよねぇ。わたしの小さい頃も、こんな感じだったのかも。そんなふうに軽ぅく、可愛らしさを楽しむ作品だろう。
で、観ている途中でふと思ったこと。舞台は田舎町、出てくるのは家族4人と隣のおばさんふたり、おまわりさんふたり、郵便配達だけ(ラスト近くで一気に増えるけれど)。「もしも、これだけの人しか生き残っていない世界だったとしたら。その終末世界でこういう牧歌的な日々が営まれているとしたら。その事実を最後の最後に明かすような内容だったら」。かなりの問題作になり、「可愛いわねぇ」と目を細める観客は腰を抜かし、自分の心にも深く刻み込まれただろうなぁ。
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