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2007/05/18

ナイロビの蜂

監督:フェルナンド・メイレレス
出演:レイフ・ファインズ/レイチェル・ワイズ/ユベール・クンデ/ダニー・ヒューストン/ビル・ナイ/アーチー・パンジャビ/リチャード・マッケーブ/ピート・ポスルスウェイト

30点満点中17点=監4/話2/出4/芸3/技4

【陰謀の渦中で、夫は妻の面影に何を見るのか?】
 ケニア・ナイロビで働くイギリス外務省の書記官ジャスティン。彼の妻で熱心な活動家として知られるテッサが殺害される。警察は行方不明の医師アーノルド・ブルームが犯人だと告げるが、納得のできないジャスティンは独自で調査を開始。すると、テッサとブルームの不倫を匂わせる証拠や噂とともに、製薬会社とイギリス官僚の癒着をふたりが追いかけていた事実も浮かび上がる。やがてジャスティンの身にも、危機が迫り始める。
(2005年 イギリス)

【安っぽくしなかったのは見識だが】
 どうも「ホントはフィリップ・ノイスとかアンドリュー・デイヴィスあたりがハリソン・フォードを主演に据えてアクション満載で撮って、その派手さでご都合主義をうやむやにしちゃったほうがよかったんじゃない?」なんて感じてしまう。
 要するにストーリーに難あり、なのだ。

 たとえば、そもそもの始まりである“ジャスティンに惹かれるテッサ”に関する描写、というか“女性としてのテッサ”が不足気味。現状では正義に燃える活動家としての彼女の姿が強すぎて「彼女、彼と結婚すべきじゃなかったよな」「あ、ひょっとしてアフリカに行って『何か』をやりたいがために結婚した?」といった印象や邪推が先に立ち、夫婦愛がベースとなっている物語の割にこの夫婦に感情移入しづらいものとなってしまっている。
 また、テッサやジャスティンが事件を追いかけていく過程では、あまりにも都合よく駒がそろいすぎる。いくら活動家・外務省の役人という立場があったとしても、そんなにたやすく重要な証拠をつかめるものなのか、それほど簡単に協力者が現れるものなのか、そのあたりの強引さが気にかかる。

 ただ、十分に“観せる”映画として仕上がっているのも事実。
 前作『シティ・オブ・ゴッド』でリオデジャネイロという地獄を輪郭鋭く描いたメイレレス監督がタクトを振ると、舞台がアフリカに移っても、そのまんまの空気、ナマの息遣いが画面に刻みつけられる。
 プレを強調した手持ちの撮影、まるでフォトリポートのような絵の連続、対象物を画面からハミ出させるあり得ないフレーミング……。チラ見した妻が「ドキュメンタリー?」と聞いたほど、物語とカメラの距離感は近い。

 もちろんそこには“ただ撮る”のではない計算がしっかりと盛り込まれていて、場面によって微妙に変化する色合いと粒子の細かさ、ベッドシーンでの肢体の直後に捉えられる死体といった展開の妙、効果的なリフレインなどによって、失われたテッサのたくましさと美しさ、決して取り戻せない時間の切なさをグリグリと掘り起こし、爽快なまでの「後味の悪さ」へと収束させていく。
 表情をほとんどオモテに出さないままひたすら静かに怒りと悔恨を募らせていくレイフ・ファインズ、めずらしく普通の人間を演じてそれでも存在感を示したビル・ナイなど出演陣もいい。そういやレイチェル・ワイズを綺麗だと思ったのは初めてだな。

 つまりは観るべき点の多い面白い作品であるのだから、どこにでも転がっている安っぽいアクション&サスペンスにしなかったのは“見識”ではあるだろう。が、もう少し「事件を追う手順のリアリティ」に配慮してくれていれば、と感じるのも確かである。

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