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2007/06/20

プレステージ

監督:クリストファー・ノーラン
出演:ヒュー・ジャックマン/クリスチャン・ベイル/マイケル・ケイン/スカーレット・ヨハンソン/デヴィッド・ボウイ/レベッカ・ホール/パイパー・ペラーボ/アンディ・サーキス

30点満点中17点=監3/話3/出4/芸4/技3

【マジシャンとは執念の生き物】
 19世紀末のロンドン。奇術師“偉大なるダントン”ことアンジャーを殺した罪で裁かれるライバルの“プロフェッサー”ボーデン。かつてふたりは同じ師匠の下で修行を積んだ身。だがアンジャーの妻ジュリアが水槽脱出マジックの際にボーデンのミスで死亡、彼らの間には確執が生まれていたのである。やがて独り立ちしたアンジャーは、ボーデンが人気を博するきっかけとなった瞬間移動マジックのトリックを盗もうと執念を燃やすのだが……。
(2006年 アメリカ)

★ネタバレを含みます★

【トリックがどうこう、オチがどうこうの作品ではない】
 開幕前に映される「結末は誰にも話さないでください」という監督からのメッセージ。そりゃあそうだろう。結末(というかトリック)を知っていたら観なかったと思う。少なくともミステリーだと思って観ることはなかっただろう。
 だってアンフェアなんだもの。だってSF(あのマシンをサイエンスと呼べればの話だけれど)なんだもの。これをミステリーと呼ぶこともミステリーとして売ることも禁じ手だろう。

 ただ、これを“あり”と考えた場合には、見事な映画になっていることは確かかも知れない。
 まずは構成力。現在、過去、さらなる過去と時制を複雑に行き来することでミステリアスな味を倍増させ、しかもアンジャーとボーデンの手記をふたりの間に介在させることで、どんっ、どんっと「え?」を感じさせる作りになっている。
 そして、美術・衣装による世界の作り込み。シーンに合わせてセットを用意したはずなのだが、むしろ、まず世界を作ってそこに人物たちを放り込んだような印象で、このあたりのデキはノーラン監督の前作『バットマン ビギンズ』のゴッサム・シティ以上。ゴシックな退廃感がストーリーにマッチする。
 撮影も、遠近法を逆手に取った画面作りや手持ちカメラの揺れなどでミステリアスな雰囲気をよく作り出し、アンジャーとボーデンの至近距離からふたりの焦燥をしっかりと拾い上げている。

 そのアンジャーとボーデン、すなわちヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベイルは、いずれも好演。特にクリスチャン・ベイルは、これまでよりも人間的な浅はかさ(および奇術師的な独善性)に満ちた役柄を、乱暴な喋りかたや目線でよく表現している。ふたりの間に立つマイケル・ケインも、なまりを駆使して、馬鹿なふたりの確執劇を盛り立てた。
 驚きなのはデヴィッド・ボウイで、うわっ、20年前とまるで違っているのは当然としても、7年位前と比べても「別人」じゃん。でも、怪しげな科学者としては納得の存在感。

 まぁ「デヴィッド・ボウイ、別人じゃん」と思わせることも本作のキーワードであり伏線である、と考えると実にユニークなのだが、周到に張られているはずの数々の伏線が“読めて”しまうのが、ちょっと痛い。
 途中で「ひょっとして、こういうこと?」と気づき、「いやぁ、いくらなんでもそれはないよな。そうだとしても、もうひとヒネリしないとミステリーとしては成立しないよな」と考えて、でも、そのまんま。
 おいっ。そういう映画。

 たぶん、トリックがどうこう、オチがどうこうの作品ではないと考えるべきなのだろう。奇術のために、観客を驚かせたい一心で「そこまでやってしまう」というマジシャンの業や性(さが)を描いた映画なのだ。そう思えばラスト、静かに眠る“罪の蓄積”と、静かに歩き出す“罪の片割れ”が、怖ろしいものとしての輝きを持つ。
 映画の作り手も、また同じ。観客を驚かせたい生き物なのだ。ノーランはその欲望のままに本作を作り上げた。それは必ずしも成功したとはいえないのだけれど。

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