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2007/06/11

サイレントヒル

監督:クリストフ・ガンズ
出演:ラダ・ミッチェル/ショーン・ビーン/ローリー・ホールデン/デボラ・カーラ・アンガー/キム・コーツ/ターニャ・アレン/アリス・クリーグ/ジョデル・フェルランド

30点満点中17点=監4/話3/出4/芸4/技3

【悲鳴と狂信に血塗られた街で、母は娘を捜し続ける】
 夢遊病の娘シャロンがたびたび口にする“サイレントヒル”という言葉。その名を持つ町があることを知ったローズは、夫クリスの静止も聞かず、シャロンとともにクルマを走らせる。だが衝突事故で気を失い、目覚めたときには娘の姿は消えていた。霧に包まれたサイレントヒルに足を踏み入れるローズだったが、そこは異形の怪物たちが彷徨う闇の世界。いったいシャロンの身に何が? サイレントヒルでは何が起こっているというのか?
(2006年 アメリカ/日本/カナダ/フランス)

★ネタバレを含みます★

【女性の中の魔女的なもの】
 妻が旅に出ているので留守番中、ひとりでは怖くて『バイオハザード4』をプレイできないヘタレです。

 この原作ゲームも怖いのと面倒なのとで途中で放り出したんだっけ。で、映画になってみるとグロではあるけれど怖くはない
 静寂と危険とを交互に持ってきて(しかも危険にはハッキリと前兆を用意して)リズムとハラハラを作り出すのはゲーム的な文法といえるだろうか。いっぽう父親クリスが中心となる“こっち側”の現実世界とサイレントヒル内の“あっち側”をカットバックするのは映画的な作り。
 これらに加えて、霧の街、闇、異形のものどもなど美術面の見事な仕事や派手な音響効果などによって、上手にゲームと映画の融合(原作ファンにもたぶん楽しめて、原作が知らない人の興味もそそる)がなされている。
 が、その根っこにあるのは、恐怖ではない、というわけなのだ。

 とりあえず何があったのかは気になる。どんなふうにローズとシャロンがこの町から脱出するのかは見てみたい。どうなるのよ、どういうことなのよ、と、観る者を取り込む。それが、この映画。つまり外面は、怖くないホラー&スリラー。
 で、いきなり怒涛のようにテーマを提示してみせる。なにしろ「何があったのか」の種明かしは語り・回顧という安直なカタチでおこなわれるし、とてもハッピーエンドとはいえない結びなので映画的なカタルシスはない。ないんだけれど、その代わりに、恐怖じゃない、哀しみでもない、単純なアメリカ製ホラーにはない味わい(日本+フランスなのでアメリカっぽくなくて当然だが)、秘められたテーマを突きつける力を持つ。それが本作の内面だ。

 序盤、木の下で語らうシーンで、母ローズの胎内に抱かれる娘シャロン、というイメージが用いられる。が、この時点ではまだ“母娘”ではない、というのがひとつのポイント。さらに「子どもにとって母親は神」という言葉を具現化するように、ローズを見上げるシャロン、というカットもたびたび出てくる。
 と同時に、俯瞰も多用される。まるで「このふたりに感情移入するのではなく、天からの視点で観よ」といわれているようだ。

 で、なんやかんやありまして、終盤、ローズが娘(ではなくアレッサの邪悪な部分か)の前でひざまずき、それを娘が“見下ろす”という場面が登場する。完全な視点の逆転。おまけにシャロンがローズの胎内に本当に入っちゃって、真の母娘になるという描写もある。さらに、再生したアレッサによる復讐を、ローズは止めようとしない。

 クリスタベラは、不貞とか復讐とか嫉妬とか、他人に畏れや不快感を与える振る舞いとか、そうした女性の中の“魔女的なもの”を忌み嫌い、抹殺しようと試みた。だが実は、その“魔女的なもの”こそが天から授かった女性の本質。
 少なくとも男視点(または「父」と呼ばれる天からの視点)で考えると、女性を天使(字幕では「御使い」)にたとえることができるのは、まさしくこの“魔女的なもの”があればこそなのだ。それを裁くことなどできない。ましてや、本来はクリスタベラが望む女性像ともいえる純潔体のシャロンを消し去ろうとするのはただの倒錯である。そして純粋なだけのシャロンは不完全体であり、そのままでは女性として成長できないのだ。
 ローズはそのことに気づき、魔女的な遺伝子を次代に受け継ぐ者として、あるいは魔女的なもののイレモノとしての覚悟を決めることで、惨劇に終止符を打ったわけである。
 そこでは、父親など邪魔モノでしかない。ついでながら、本作の日本版イメージソングの歌い手として起用されたのは、シングルマザーの土屋アンナ。起用の時点では離婚前だから偶然だったのだろうが、奇跡的なキャスティングといえるかも知れない。

 女性の中の魔女的なもの。それを体現するのに、これまで観た映画よりもよっぽど色っぽくて可愛く思えたラダ・ミッチェル、思わず「やばっ」と感じてしまったジョデル・フェルランド、この“母親”もまた、納得できるキャスティングだった。

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