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2007/07/27

ほしのこえ

監督:新海誠
声の出演:武藤寿美/鈴木千尋/篠原美香(オリジナル版)/新海誠(オリジナル版)

30点満点中16点=監3/話2/出3/芸4/技4

【遠く引き裂かれたふたり、時間を越える声】
 異星人討伐の選抜メンバーとなった中学3年の長峰美加子。戦闘ロボットを駆り、火星、木星、冥王星、そしてシリウス星系への長距離ワープと、旅と闘いは続く。だが彼女の本当の望みは、地球にいる同級生・寺尾昇となにげない時間をともに過ごすこと。ふたりをつなぐのは、ただ携帯電話のメールだけ。地球から離れるにつれて、メール送受信のタイムラグは長くなっていく。彼女は15歳のまま、彼は24歳となったいま、ふたりは……。
(2002年 日本/アニメ)

【「ならでは」に満ちた作品】
 ヒューマノイド・ロボット&実在感の薄い美少女&大風呂敷という日本製SFアニメ特有のフォーマットと、主人公の半径10m以内にあるものをそのまま心象風景として描く邦画ならではの世界観とをミクスしつつ、時間的にも空間的にも引き離されてもう元の関係には戻れないふたりの“切なさ”をコンパクトかつストレートに描いている

 アイディアとしては『遠い呼び声』など星野之宣の諸作品に通ずるものがあるが、前提と結果とが上手くリンクする物語としての完成度/衝撃度/センス・オブ・ワンダーは、星野ワールドのほうが上。ただしあちらが軸足をあくまでも“SF”に置いているのに対し、科学的・社会学的な整合性をひとまず軽く扱ったこちらは“心”のほうを重視した印象だ。

 SF側に置いた足をちょっと浮かせた(長峰が出撃する必然性をまったく無視したことなど)ものだから、「テーマのために無理やりしつらえた舞台と設定だなぁ」との感は否めない。
 いっぽう心象側にはドッシリと重心をかけているものの、それを“ほぼ全編モノローグ、しかも解説セリフ”という方向性で処理したため、たとえそれが狙いであったとしても、やはり奥行きがなく映画的な面白さにも欠け、「作りも人物の造形も幼いな」という思いを抱かせる作品となってしまっている。

 早い話が“小さな世界の中だけで紡がれた内向的な物語・映画”にとどまっているわけだ(「小さな存在が世界の存亡に関わる」からではなく、「小さな世界を描く」という意味で、こういうのをセカイ系っていうのか?)。それも狙いではあるのだろうが。

 とはいえ見るべき点もあって、たとえば美術面。多くのカットにやわらかな、あるいは強い光が配置されて、本来は生き生きと輝いている“ふたりがいたはずの場所”を鮮やかに描き出す。快晴の青や夕焼けの温度感など、色あいも上質だ。
 また登場人物をふたりに絞ったことも奏功している。他の人物を“写さない”どころか“存在しない”という気配を感じさせることで「ここにワタシとアナタ(だけ)がいる」ことを強烈に意識させるのだ(今回は声優版で観たのだが、より素人っぽいオリジナル版のほうが「ワタシとアナタ」という印象が強まるようだ)。
 このあたり、実写では困難な表現、画面の隅々まで作り手の意図通りにコントロールできるアニメならではの強みを生かした世界構築だろう。

 そうした点と、内向的な物語、ついでに紙芝居的な画面も、なるほど監督ひとり+Mac1台で作ったことに納得できる仕上がりだが、「まぁ閉じた世界での少年と少女ってのは、こんなもんだろう」という程度で、グっとくるものもなければ、かといって拒絶するものもない、というのが正直なところ。
 むしろ、より高価な機械と多くの人出とキャリアのあるクリエイターとを費やしたはずのアレとかコレよりも“ちゃんとやりたいことをやって1本にまとめました”という作品になっていて、好感を覚えてしまうことに(別の意味で)グっときちゃう作品。

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