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2007/07/02

ゾディアック

監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ジェイク・ギレンホール/マーク・ラファロ/ロバート・ダウニー・Jr/アンソニー・エドワーズ/ブライアン・コックス/ジョン・キャロル・リンチ/クロエ・セヴィニー/イライアス・コーティーズ/ドナル・ローグ/ダーモット・マルロニー/フィリップ・ベイカー・ホール/チャールズ・フレイシャー/クレア・デュヴァル

30点満点中20点=監4/話4/出4/芸4/技4

【連続殺人犯ゾディアックと、彼に翻弄される男たち】
 1969年7月、サンフランシスコ郊外のバレーホでデート中のカップルが銃撃される。“ゾディアック”と名乗る犯人は自ら警察に通報、新聞各社に手紙と暗号を送りつけ、さらに殺人を繰り返していく。新聞社のイラストレーター=ロバート・グレイスミスや記者のポール・エイブリー、デイブ・トースキー刑事とウィリアム・アームストロング刑事らは、犯人の正体を暴くべく、推理と捜査と証拠集めに奔走するのだが……。
(2006年 アメリカ)

【作り手の意志を徹底してスクリーンに刻む】
 監督いわく、この手の作品では「凝ったカメラワークは邪魔になる」。ところがどうして、冒頭から、犠牲者の至近距離でまわるカメラや細かなカットワークで観客を事件の渦中へと叩き込む。
 気ぜわしい音楽、周辺ノイズまで拾い上げる音響、スローモーション、クルマを停める角度にまでこだわった舞台設定、タクシーを画面の中心に置いた俯瞰、マクロで撮られる暗号文などで殺人事件をアーティスティックに描いてみせる。さすがはフィンチャー。

 もちろん身勝手に「芸術」しているだけじゃない。目立つのは、人物を画面の片側に寄せ、誰かがやって来て空いたスペースを埋めるというカット。あるいは人物の動きを追うカメラワーク。まさに、隙間だらけの空間を埋めるためのピースを求めて事件を追う、そういう作品であることを画面が伝えるのだ。

 また手前と奥とに人物を配するという構図を多用し、歯磨き、日本食の話題、BLTからトマトだけを抜いて食べるトースキーといった日常も盛り込んでいく。美術や衣装が鮮やかに60~70年代の雰囲気を作り上げる。ポールの撃つ銃弾はハズレて、画面にそぐわないファンキーなBGMが鳴り響く。かと思えばピアノと弦が不安を煽る。
 そうやって、いま僕らが生きているココと地続きの立体的な世界で起こっている事件であること、グレイスミスやトースキーがありふれた生活を持つ生きた(ゾディアックがいなければ、そうした生活を何事もなく続けていたであろう)存在であること、そして、ひょっとしたら見当ハズレの方向で事件を追っているかも知れない彼らの焦燥とを炙り出していく。

 つまり、淡々と出来事を追っているだけのように見えて実は、どんなものを作りたいかという意志を徹底してスクリーンに刻んでいる映画なのだ(ついでにいえば、ゾディアック役として複数の俳優がクレジットされている。これは作り手が「複数犯説」をひっそりと主張しているのかも知れない)。
 時間経過を文字説明に頼った部分はやや気にかかるが、約20年にもおよぶ登場人物たちの苦闘と、それに対して感じた作り手の思いについて、詰め込めるだけのものを詰め込もうとした結果として許容範囲だろう。

 その登場人物たちの苦闘を、出演陣がクッキリと表現する。事件以外のすべてのことを眼中からオミットして狂ったように走り続けるグレイスミス役のジェイク・ギレンホール、飄々とした中に弱さを漂わせるロバート・ダウニー・Jr(枯れぐあいが抜群にいい)のポール・エイブリー、感情を排して事件にケリをつけようとしてもそうできないデイブ・トースキーを演じたマーク・ラファロ、彼ら役者たちもまた、スクリーンにおのおのの存在感を刻みつけるのだ。
 またグレイスミスが事件にのめり込む動機を明確にはせず、本来はもっと世間を騒がせた事件なのに社会的な影響をほとんど描かずに、彼ら登場人物たちのパーソナルな物語に仕上げることで事件と人物との距離を近づけて、「逃れようのないライフワーク」という空気を出している。
 確かに彼らの人生はゾディアックのおかげで“狂わされた”のだろう。でも本当にそれだけだろうか。ゾディアックを追うことは、彼らの人生そのもの(特にグレイスミスにとっては)でもあったはずだ。そう感じさせる演技と構成のように感じられた。

 彼らだけではない。エンドロールには、協力者として多数の関係者の名前が並ぶ。製作にあたっては膨大な資料も用意されただろう。そこにもあそこにもゾディアックに揺さぶられた人、事件が人生そのものになってしまった人がいて、いまだ事件が現在進行形であることをうかがわせる。
 デヴィッド・フィンチャー監督もまた揺さぶられた人物。なにしろ「私を主人公にした、いい映画が作られるのを待っている」というゾディアックの言葉にノせられたわけだから。
 ひょっとしたらそれが悔しくて、自分流の画面作りを挿入し、全編に渡って意志を充満させた映画を作ったのかも知れない。
 おかげでこうして、2時間30分の長尺を飽きさせない、密度の濃い作品が出来上がったわけである。

●参考:真相追っかけ系作品には“スゴイ”ものが多い
『殺人の追憶』
『タブロイド』
『隠された記憶』

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