« ほしのこえ | トップページ | 鉄コン筋クリート »

2007/07/28

ゆれる

監督:西川美和
出演:オダギリジョー/香川照之/伊武雅刀/新井浩文/真木よう子/木村祐一/ピエール瀧/田口トモロヲ/蟹江敬三

30点満点中16点=監4/話3/出4/芸3/技2

【兄弟の間にかかる橋は】
 母の一周忌に参列するため、久しぶりに山梨の実家へと戻ったカメラマンの早川猛。東京で成功をつかんだ彼だったが、家を飛び出したことに引け目を感じ、父の勇とは反りが合わないようだった。勇が経営するガソリンスタンドを切り盛りするのは猛の兄・稔。実は、猛と、幼なじみの智恵子を連れて渓谷へとドライブに出かけるが、智恵子は吊り橋から転落、死体となって発見される。当初は事故として処理された智恵子の死だったが……。
(2006年 日本)

★ややネタバレを含みます★

【ちょっと舌足らずだったかも】
 いろいろと考えて、某所にて読んだ感想・解説に自分なりの反芻を加えることで、ようやく合点がいった。なるほど。誰も信用していない、という猛の性格設定(そういう描写は、とんと出てこないのだが)がキーとなっているのか。

 その瞬間を猛は、しっかり見ていたはずだけれど不信が目を曇らせた。不信というのは、自分と智恵子との関係を稔が訝しんでいるのではないか、という思い。「盗っちゃったかも」という負い目が呼ぶ困惑。
 だから「兄がやった」ように猛の目には映った。でも負い目があるものだから猛は事実を隠蔽しようとする。すると稔は、どんどん壊れていく、兄ではなくなっていく(ように猛は感じる)。そこで猛自身が述懐するように、兄を取り戻すためにああいう行動に出たわけだな。
 ところが7年後、フィルムを見ることで真相に気づく。兄は紛れもなく兄だったことに思い至る、と。

 要するに猛がバカだったわけで。その割にゃあ無責任。稔も心広すぎ。

 まぁ「何が起こったか」という真相そのものがテーマとなっている映画ではなく、「何を思ったか」に迫る作品。その“思い”の部分を観るものの解釈に委ねようとしたのだろうが、だとすれば、ちょっと舌足らずかも。

 いい加減、「テレビではできないことを映画でやる」を「テレビでは間延びとして感じられるジックリとした間(ま)」へと持っていくのはやめませんか。微妙な間を咀嚼・解釈のための猶予としたつもりなのだろうか。そのあたりの手際は師匠・是枝裕和による『ワンダフルライフ』のほうがずっと上だろう。
 あと、同録のクォリティが低くて聴き取りづらいセリフがあったのが減点材料。かねがね上手いなぁと感じていた香川照之がやっぱり上手かったことと、日本の法廷モノ(いや法廷モノじゃないけれど)では珍しく検事(木村祐一)が“生きた検事”になっていたことが加点材料。

 2時間あるんだから、もうちょっと、猛がいまの猛である理由、稔がいまの稔である理由、あのフィルムから現在へと至るまでの心情変化を盛り込めたはず。
 せっかく、料理されることのなかったトマトとか腕の傷とか、法事の席に遅れてきた猛の“あの部分”をなにげなく握って座らせる稔とか、「意味を持つカット」の作りかた、それらによる語りの上手さはあるのだから。
 カット数は少ないながらも、ガラス越しとか俯瞰とか多彩な絵でリズムを作り出すこともできているのだから。

|

« ほしのこえ | トップページ | 鉄コン筋クリート »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ゆれる:

« ほしのこえ | トップページ | 鉄コン筋クリート »