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2007/08/20

メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬

監督:トミー・リー・ジョーンズ
出演:トミー・リー・ジョーンズ/バリー・ペッパー/フリオ・セサール・セディージョ/ドワイト・ヨアカム/メリッサ・レオ/ジャニュアリー・ジョーンズ/バネッサ・バウチェ/レヴォン・ヘルム

30点満点中19点=監4/話4/出4/芸3/技4

【老カウボーイは友のため、荒野を行く】
 メキシコと国境を接するテキサスの田舎町で、荒野に埋められたメルキアデス・エストラーダの他殺体が発見される。メルキアデスの友人でカウボーイのピートは犯人が国境警備隊のマイク・ノートンであることをつきとめ、彼を拉致すると、メルの遺体とともに国境を超えメキシコを旅する。彼が生前語っていた通り、生まれ故郷のヒメネスに埋めようというのだった。逃走を図るマイク、血眼でふたりを捜す警備隊。それでもピートは旅を進める。
(2005年 アメリカ/フランス)

【あんたは大丈夫か?】
 ここに描かれているのは“時間”である。過去と現在、あるいは時間の積み重ねによって作られる“人”といったほうがいいだろうか。

 結婚生活の年月が語られる。わずかな言動やしかめっ面でこれまでの歩みや生き様を浮かび上がらせる。そうして意識させるのは、過去。
 太った女に何年後かの自分を見る。腐臭を放った後に干からびていく死体に己の行く末を見る。もはや希望を失った老人は死を請う。そうして感じさせるのは、未来。
 
 加えて、雄大な自然や寂れた町といったロケーションを得ながらも、人物だけを捉えたサイズが多用されるカメラワーク。時制をバラバラにつぎはぎしたり、数十分や数時間をいっぺんに飛んでみせる編集もある。

 監督・主演はトミー・リー・ジョーンズ。パルム・ドールを逃して男優賞だけにとどまった。確かに枯れた芝居を見せてくれるが、むしろ演出家としての“語り”の手法が光る。やるじゃん、ジョーンズ。
 脚本は『アモーレス・ペロス』『バベル』などでアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥと組んでいるギジェルモ・アリアガ。重く重く、クソったれの人生を語る腕に長けているようだ。本作でカンヌ映画祭脚本賞を受賞。
 マイク・ノートン役にバリー・ペッパー。目を細めて立つだけで、何もない人生を肩のあたりからにじませる。
 こうしたスタッフ&キャストによって、“3人”の旅路と、彼らを取り巻く世界を興味深く見せてくれる

 まったくバカみたいな、一歩踏み外せば転落してしまう、何も残らない失敗だらけの、スカスカでパッチワーク的な時間=人生を送る人たちが、ここにいる。
 だからこそピートはヒメネスを目指すのだ。マイクは祈るのだ。そうした行為……その人のために、誰かが真剣になって、何かをなした事実……を経てはじめて人は(まったく何も残せなかったとしても)実在として歴史の上に刻み込まれるのである。
 それは救いでもあり、逆に絶望を誘うことでもある。

「あんたは大丈夫か?」
 それはピートに対してだけでなく、われわれすべてへ向けての問いかけだろう。たぶん、大丈夫だと言い切れる人は、そう多くない。

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» メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬 [銀の森のゴブリン]
2006年 アメリカ・フランス  06年3月11日公開原題:THE THREE [続きを読む]

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