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2007/08/17

許されざる者

監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド/ジーン・ハックマン/モーガン・フリーマン/ジェームズ・ウールヴェット/ソウル・ルビネック/フランシス・フィッシャー/アンナ・トムソン/アンソニー・ジェイムズ/リチャード・ハリス

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3

【妻を亡くした老ガンマンが、ふたたび銃を取るとき】
 かつては冷酷非道と恐れられた殺し屋ウィリアム・マニー。いまでは銃を置き酒もやめ、先立った愛妻が眠る墓のそばで、幼い息子や娘とともにつましく暮らしていた。だが生活のため、スコフィールド・キッドと名乗る若者の誘いに乗る。娼婦の顔を傷つけたカウボーイを殺せば、賞金が手に入るというのだ。昔の相棒ネッドを加えた3人は、強権をふるう保安官リトル・ビルが守るワイオミング州ビッグウィスキーへと向かうのだった。
(1992年 アメリカ)

【筋を通した人物の、筋を通した映画】
 正直にいえば「何を伝えようとしているのか」をつかみづらい映画だ。
 が、そもそも人間の生き様なんて、そんなものなのだろう。裏切ったり貧乏くじを引かされたり、虚勢を張ったり誠意が通じなかったり。歳を取ればヨロヨロになるし、降りかかる火の粉は振り払うよりも逃げたほうが確実に火傷を防げる。
 ウィルにしても、ここまで生き延びてこられたのは、彼のいう通り「運が良かった」だけであるからに違いない。

 かっこいい生きかたなんて、そう簡単にできるもんじゃない。誰にだって見せたくない部分や弱さはある。誰かの生き様が、すべて手本や反面教師になるとは限らない。意味のあることないことをいろいろと積み重ねて、あるいはウソや誇張で彩られて、その人の人生は出来上がっていく。
 そうした人間の“陰影”を描きたくて、イーストウッドは一貫して自作の画面の中に、光と影のコントラストを作り続けるのだろう。

 また本作では、他のイーストウッド作品と比べて「きっぱりと計算された動きとフレーミング」を強く感じるのだが、いっぽうで人物への寄りは少なめ、ひざ上~ウエストくらいのサイズ、しかも雄大な自然を背景とするカットが多用される。表情を読み取りにくくさせ、その割に自身やモーガン・フリーマンやジーン・ハックマンには「かすかな表情の演技」を要求しているようにも思える。シナリオはやや饒舌にすぎるが「あ、窓からいつも見える場所に奥さんの墓を建てたんだ」などといった“気づき”を埋め込んであるのも特徴だ。
 そうやって、ちっぽけでつかみづらい存在としての人間をあぶり出し、悪戦苦闘しながら齢を重ねてきたガンマンたちを“運命に支配された人々”として捉え、その運命の中でなんとか自分なりの方法で生きていく男たちの姿を描く。それが、この映画の本質なのかも知れない。

 ウィルもつかみづらい人物だが、「筋を通す」人であることは確かだ。契約と友情を守り抜くだけでなく、酒の注がれたグラスを遠ざける彼と、ふたたびボトルを手に取る彼の姿に、そのことを強く感じる。
 そしてエンド・クレジットの最後にあらわれる、セルジオ・レオーネとドン・シーゲルに対する献辞。つまりこの映画は、クリント・イーストウッドが師匠に対して「筋を通す」べく作られたもの、かつて師匠たちの映画の中で無頼として活躍した自分自身をウィリアム・マニーに投影して作られたもの、ということでもあるのだろう。

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