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2007/08/06

終わりで始まりの4日間

監督:ザック・ブラフ
出演:ザック・ブラフ/ナタリー・ポートマン/ピーター・サースガード/アーマンド・リエスコ/ジーン・スマート/ロン・リーブマン/アト・エッサンドー/デニス・オヘア/イアン・ホルム

30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3

【久しぶりのわが家、でもここは“ホーム”じゃない】
 LAでバイト暮らしのアンドリューは売れない俳優。母が亡くなったという知らせを受けて、9年ぶりにニュージャージーへと帰る。懐かしいはずの故郷なのに、久々に友人たちと再会したのに、このけだるさは何だろう? 父とも上手くコミュニケーションを取れず「ここは僕のホームじゃない」と感じるアンドリューだったが、明るい嘘つき少女サムと出会い、墓堀人のマークに振り回されているうちに、彼の無表情に変化があらわれはじめる。
(2004年 アメリカ)

【いいんだよ、君にだってできることはある】
 どうしよう、割と好きだぞコレ。
 監督・脚本・主演を務めたザック・ブラフは無名、客を呼べそうなキャストはナタリー・ポートマンだけ、しかも何にも起こらない話。よってビデオスルーも仕方ないけれど、米国で数々の賞に輝いただけのことはある。

 いや、ホントに何も起こらない。居場所のなさ、自分が属している世界の狭さが、調子っぱずれに、これでもかこれでもかと繰り返されるだけ。
 あなたなんか壁とおんなじ、あるいはゴミみたいなもの、二本足で立てないからサイドカーに乗るしかない。かつては“バカなクォーターバック”だったり“ワニのスケーター”だったりしたかも知れないけれど、いまは何者でもない。そのくせ誰かの人生や生き死にに影響を及ぼしてしまう罪な存在でもある。
 そんな、20代の“いま”が描かれる

 それらの描写は、ユーモラスで、時に切なくて。新人監督のクセに、このザック・ブラフ、間の取りかたやフレーミングが絶妙に上手く、鏡の使いかたとか大胆なアングルといった映像的な面白さもあって、何もない話なのにグイグイと映画の中に引き込んでいく。そうしてアンドリュー同様に僕自身も何者でもないということを痛感させられてしまうのだ。

 やがて訪れる救いが、穴の底に暮らすアルバートさん。世間から見れば彼だって“何者でもない”人物だろう。でもアルバート自身は、自分が何者であるかをしっかりと自覚し、自分を自分たらしめるべく生きている。
 ああ、それでいいんだ。別に大きなことをやらなくったって(たとえばデニーロになれなくっても)、世間に認められなくったって、“自分自身であること”はできる。財産や立派な家や庭はなくっても“ホーム”を作ることはできる。そうしたことを教えてくれるのだ。

 いわば、大切なものに気づく系、それでいいんだよ系の作品。ま、いいかげんオッサンなので、同じ系統でも本来なら『サイドウェイ』とか『舞台よりすてきな生活』、せいぜい『イン・ハー・シューズ』あたりにこそ共感を覚えるべきなんだけれど、まだまだガキというか、世間を甘く見ている者としては、コレとか『虹の女神 Rainbow Song』みたく、甘えん坊モラトリアムたちの姿を捉えた映画にも心は動くのである。

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