ユナイテッド93
監督:ポール・グリーングラス
30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4
【9・11、UA93便】
2001年9月11日。アメリカ合衆国上空で旅客機が次々と交信を絶った。わずかな傍受記録から「複数機がハイジャックされた」と判断した各地の管制センターは、連携を図り、軍とも協力しながら事態の打開と事故防止に努める。だが彼らの奮闘もむなしく、NYの世界貿易センターに2機が衝突して爆発、ペンタゴンにも1機が突っ込む。その頃、4機目のユナイテッド航空93便も、テロリストによって操縦席が乗っ取られていた。
(2006年 アメリカ)
【記録の中に垣間見える考察とメッセージ】
UA93便内と管制センターに舞台をほぼ絞り、9・11という事件の部分記録に徹したような作り。『ワールド・トレード・センター』(WTC)ほどにはパーソナルな視点・範囲の作品ではないが、WTC同様、ビフォア社会とアフター社会の対比は省かれており、ひたすら“そのとき何が起こったか”を描いていく。必要以上に人物の背景描写には時間を割かなかった点もWTCと共通している。
プロフェッショナルたちの働きぶりを中心に据えたこと、「人は助け合う生き物である」という意識を根底に込めたこともWTCとの共通点だ。管制センターや軍の迅速な対応には、この事件の性質や結末を忘れて惚れ惚れとしてしまう(4200機もの航空機を同時に誘導し、わずか2~3時間で緊急着陸させてしまったのだから)。もちろん、最期を目前としたUA93便の乗客たちが見せた勇気や優しさにも胸を打たれる。
残念ながらあまりに多くの死傷者を出してしまうことになるわけだが、彼らの適確またはジェントリーな行動のおかげで救われた人も多いはず。そう感じさせるほどの“生きっぷり”である。
WTCとの相違点は、よりドキュメンタリー・ライクにしたことだ。
手持ちカメラを用い、喋っている人物が物影にいるカット、重要なセリフの錯綜なども見られ、「たまたまその場にいたカメラが生の様子を捉えた」という作りが徹底されている。キャストからビッグネームを排し、管制センターの責任者など多くの人物が自分自身を演じていることもリアリティ向上に寄与。ニュース映像(つまり本物の9・11)の挿入もスムーズ。
まさに“記録”へと向かう作風だ。
ついでにいえば、省略された乗員・乗客たちのプロフィールはDVDの特典として収録されており、1枚のディスクがトータルで「あの日のUA93便」の記録となっている。
物語の結末は観る者のほぼすべてが承知しているはずであり、これはサスペンス(いやサスペンス映画ではないのだけれど)としては致命的なハンデといえる。が、そこに“記録”という主軸を持ってきて観客に追体験を強いることで、緊迫感をキープしてみせる。
さらには「プレーンズ」というセリフへと至る場面の張り詰めた空気、窓外にほんのチラリとだけ見える「まだ建っている貿易センタービル」、2機目の衝突後の絶望感といった“演出”も織り交ぜて、観る者を画面に引き込んでいく。
WTCがあくまでも演出されたドラマとして作られ、人間賛歌の映画へと昇華させたのに対して、こちらは“演出”とのバランスに配慮しながらもハッキリと“記録”のほうに重心を置き、起こってしまった事件・事実から観客それぞれに何かを考えてもらう、という作りだといえるだろう。
つまり、どちらかといえば(その場に居あわせた感覚を味わわせるドキュメンタリー・ライクな作風であるにも関わらず)傍観者的な作り、特定の個人への感情移入を誘うことは避けた(乗客たちが家族に電話をするところでは共感を覚えるが)内容といえるのかも知れない。
ただ「なぜこういう事件が起こったのか」という点に関してのポール・グリーングラスなりの考察・解釈は垣間見ることができる。
大きくなりすぎたアメリカという国のスケール・デメリット、誰もわが国に攻撃などしてこないという思い込み、航空の安全に関わる機関のセクショナリズム、セキュリティに対する認識の甘さといったもろもろを読み取ることも可能だが、むしろ強烈に迫るのは「祈りの無意味さ」である。
なにしろオープニングはテロリストによる祈りである。墜落を目前にして祈るしかない機内の人々も描かれる。
そこに感じるのは、反テロリズムでもないし、信仰と信仰の対立でも、信仰と帝国主義という近代戦争の図式でもない。もちろんハイジャックを許したシステム的な齟齬でもない。
実はこの映画が描こうとしたものは、神の無慈悲、あるいは不在ではないだろうか。
起こった事件、それを記録した本作の完成度以上に、その事実=私たちは愛されているわけではない(まるで『百億の昼と千億の夜』だ)ということが衝撃となる映画である。
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