ハッダーの世界
監督:ヘンリク・ルーベン・ゲンツ
出演:フレデリック・クリスチャン・ヨハンセン/ラーシュ・ブリグマン/ビルゼ・ニーマン/アンデルス・ルンド・クジョルセン/モーリス・ブリンケンベルグ/トリーネ・アッペル/ペード・ランベルト/アネット・スタベルピーク
30点満点中15点=監3/話2/出4/芸3/技3
【世界を救う役目を与えられた少年】
ポスター貼りを仕事とする父と暮らすハッダーは、ちょっと好奇心が過ぎて小学校では攻撃の的になったりもする少年。ある日、部屋のポスターから羽根の生えた妖精が飛び出てきて「あなたは世界を救う役目を与えられた」と告げられる。とりあえずはインド洋でいちばん小さな島・グアンビルアを救うことから始めようと思ったハッダーは、クラスメイトのフィリップやアレックス、隣のアパートに住むローラらと探検隊を作ろうと思い立つ。
(2003年 デンマーク)
【この少年を“是”としていいのか】
観はじめて30分間は「ハッダーだけが世界に向かって“開いて”いて、他の登場人物は“閉じて”いる」と感じた。その読みかたはある程度、正しいのだと思う。
ハッダーのパパは妻を亡くしており、フィリップは両親が離婚の危機を迎えている。アレックスは狭い社会で王のように振る舞い、アイスランド人の少女は異分子だ。夢を食って生きるベーカリーのお姉さん、本来いるべきところでない場所にいるビッグ・マック、夜の闇に包まれるローラ……。誰もが「自分の中」で暮らしている。
ところが中盤で、ハッダーの真の姿があらわになる。彼は“開いて”いるのかも知れないが、同時に“止まって”もいるのだ。たとえ外部と関わりあっているとしても、どこにも行き場がなく、そこでグルグルと回っているだけ。開いた夢想の中で時間を過ごす。そんな存在であることが浮かび上がる。
だからなのだろう、この少年は、笑っていても無表情でも、ただただ寂しさを感じさせる顔をする。唯一人間らしさを感じさせたのは、自らが“止まって”いることを自覚しているのだと、それはイラつくことなのだと、怒りを吐き出すシーン。ハッダーを演じたフレデリック・クリスチャン・ヨハンセン君の鮮やかなまでの感情(の起伏の)表現は、この映画最大の見どころとなっている。
何をどの角度でどこまでうつすかについてしっかりと計算されたカメラ、軽快なテンポなどの作りも、ハッダーの表情を捉え、伝えることに専心している。
が、意外なことにこの映画には、救いや未来が用意されていない。どうにかフィリップと心が通じあうようになったかと思えるハッダーだが、結局は夢想へと回帰し、ハッダーがそこにとどまり続けることを肯定するような空気で幕を閉じるのだ。
それは「子どもなりの空想を大切にしましょう」なんてものじゃなく、まるで「とどまりたければとどまるがいい」と突き放すような感覚。
まぁ、かなり脈絡に欠けるファンタジーであり、読解を観客に委ねるタイプの作品であるから、観る人によって解釈はそれぞれ、もっと明るいイメージや好感を抱く人もいるとは思う。イジメ問題の解決法を読み取ることだってできるかも知れない。
でも個人的には、たとえば『マトリックス』の中で生きることを是とするようなメッセージを感じてしまい、ちょっと恐怖を覚える映画である。
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