ローズ・イン・タイドランド
監督:テリー・ギリアム
出演:ジョデル・フェルランド/ジャネット・マクティア/ブレンダン・フレッチャー/ジェニファー・ティリー/ジェフ・ブリッジス/ディラン・テイラー/ウェンディ・アンダーソン/サリー・クルックス
30点満点中17点=監4/話1/出5/芸4/技3
【少女は往く、彼女だけの世界を】
パパのノアもママの“グンヒルド王妃”も情緒不安定のジャンキー。愛読書は『不思議の国のアリス』。友だちは人形の頭が4つ。そんな少女ジェライザ=ローズ。ママが麻薬によるショックで死亡し、うろたえたパパはジェライザ=ローズを連れて生まれ故郷へと戻る。そこは平原の中に立つオンボロの一軒家。やがてパパも“休暇”へ旅立ったまま帰らず、残されたジェライザ=ローズは近くに住むデルとディケンズの姉弟と知り合うことに。
(2006年 カナダ/イギリス)
【ようこそジョデル、おかえりギリアム】
恐らく『ブラザーズ・グリム』で落胆した人が本作で快哉、というケースが多いと思われ。どうやら『グリム』を撮っている合間に“作っちゃった”映画らしい。『グリム』での鬱憤をこっちで晴らしたわけだ。
とはいえ『モンティ・パイソン』での弾けっぷりや『未来世紀ブラジル』で観られた圧倒的な狂気、『12モンキーズ』における映像と構成のセンスなどは影を潜めている。おなじみのナナメ・カットや躁鬱症的な空気感は健在で画面の美しさも過去作以上だけれど、かなり散文的かつ自己完結的な作り。映画的なコーフンも少なく、退屈とすらいえるほどだ。
ある意味でグチャグチャな映画。それを支えているのがジョデル・フェルランドというタレントだ。1994年生まれってことだから、撮影時は10歳か11歳くらいか。『サイレントヒル』でも「思わず『やばっ』と感じてしまった」わけだが、とにかくイロっぽく、そして上手い。いや上手いというよりも、やっぱり“やばい”だ。
なんとなくヘンソンの『ダーククリスタル』を思い出したりして。つまりは非人間的。あるいは人間としてワン・アンド・オンリーの存在(加えて自分はショタじゃなくてやっぱりロリだったことを思い知らされる)。
唯一無二ともいえる少女を中心に据えたことで、この散文的な映画には意味が与えられることになる。つまり、ここで描かれているのは現在の世界のありようそのものだということ。
われわれ大人は世界を身勝手に作ったり壊したりしてクソったれなものに仕立て上げ、僕らにとって唯一無二の存在であるはずの子どもたちに押しつけて死んでいくのだ。
けれどジェライザ=ローズは、彼女なりの価値観で世界を楽しみ、乗り切って行こうとする。タイドランドとは干潟、潮の干満の影響を受ける土地。無責任な大人が波のように大地を蝕み、それでもなお地中に残された何かをほじくり返すようにして、子どもたちはこの先を生きていくのである。
そこで求められるのは「自分自身がワン・アンド・オンリーだと(無意識のうちに)信じられる力」ではないだろうか。だからこそ本作のヒロインは「ああ、まぎれもなくこのコはワン・アンド・オンリーだ」と、観る側が信じられるジョデル・フェルランドでなければならなかったのだ。
面白いか面白くないかといえば、面白くない。けれど素直に「おかえり、ギリアム」といいたくなる映画。もっともギリアムファンの間でも、あまりの観客突き放しっぷりに賛否両論のようだけれど「10歳の女の子から見た世界をそのまんま映画にした」というだけでもスゴイこと。そして僕らは彼女がこの世界で躍動していることに安堵を覚えつつ、いっぽうで彼女や彼女の周囲にいる大人たちの振る舞いを単に「キ印」と片づけて責任放棄へと走るのである。
以下は余談。本作はR-15指定、15歳未満(中学生以下)の入場/購入/レンタル不可らしい。その割に劇場には眼がテンの家族連れもいたそうだけれど。
きわどいところもあるのでR指定は仕方ないが、むしろ「これを観た子どもたちが世界のありように気づくことがないように」という配慮からだったりして。 『ジャーヘッド』、『ロード・オブ・ウォー』、『シティ・オブ・ゴッド』なんかがR-15になったのと同じ。あながち邪推でもあるまい。
ちなみに『SAW』などの残酷描写系、『サマリア』や『天国の口、終りの楽園』などの性的&ビミョーな犯罪系もR-15。このあたりはどっちかっていうと毒なのでR指定も理解できるけれど『サイドウェイ』がR-15ってなんでだろう? 『スタンドアップ』に『モンスター』、『隣人13号』あたりなんか若いうちに観て、観賞後にディスカッションすればクスリにもなると思うんだけれどなぁ。
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