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2007/11/02

すべては愛のために

監督:マーティン・キャンベル
出演:アンジェリーナ・ジョリー/クライヴ・オーウェン/テリー・ポロ/ライナス・ローチ/ノア・エメリッヒ/ユーリク・ヴァン・ウァゲニンゲン/ティモシー・ウェスト

30点満点中18点=監3/話4/出4/芸3/技4

【責任感と愛とが、彼女を変えた】
 ロンドン、難民援助のための資金集めに尽力したボーフォード氏を称えるパーティー。ボーフォードの息子ヘンリーと結婚したばかりだった画廊勤めのサラも出席していたが、会場に乗り込んだ医師ニックの訴えにより、援助のカットが大勢の死者を生んでいることを知る。救援物資を購入して自らエチオピアの難民キャンプへと赴き、想像を超える惨状を目撃するサラ。やがて国連の仕事に就いたサラは、使命感とニックへの愛を燃え上がらせる。
(2003年 アメリカ)

【赤ん坊はなぜ泣くのか?】
 こんな世界に生まれてきたことを儚んで、赤ん坊は泣くのだという。確かにカンボジアで手榴弾を抱きながら泣く子の声の主成分は、絶望以外の何物でもないだろう。同じクライヴ・オーウェンの出演作、同じように人類社会が直面する危機を題材とした『トゥモロー・ワールド』では泣き声が希望の象徴として扱われていたのとは正反対だ。
 けれどもやがて子どもらは意志を持ち、劣悪な難民キャンプにあっても走り回って遊ぶことを覚え、笑い、あるいはピアノを弾き、将来は医者になりたいと夢を抱くようになる。生きたいと願うようになる。
 ここに僕はいる、私が生きるための道を切り拓いてくれ、そんな祈りも泣き声の中には混じっているに違いない。

 ラブロマンスとして紹介されることも多い本作だが、実際は紛争地域の現状と国際的援助システムの不完全さを訴え、さらにはそこを突き抜けて「あなたは何のために生きますか?」と問いかける、なかなか硬派な作品だろう。「許されぬ愛」という謳い文句やアンジー出演に釣られてやって来た観客に現実を突きつける役割を果たす映画だ。

 その役目は果たしているといっていい。しかもゴリゴリと惨状を押し付けるのではなく、ポイントポイントで心を締めつけるような場面、衝撃的なカットを用意して「いま世界で起こっていること」を印象に残すような作りになっている。
 いっぽうでストーリーや展開をわかりやすく整理し、サラの生きざまに対する共感と疑問を抱かせるべく“ラブ”の部分もそれなりにドラマチックに処理、奇をてらうのではなく真っ当に画面を構成し、アクションも交えて、物語が堅苦しさ一辺倒にならないよう配慮されている。観やすくて、でも考えさせる。そんな作風だ。

 そして、アンジェリーナ・ジョリーの存在がとてつもなく大きい。1本の映画でこれほど表情が変化するアンジーってのも珍しいんじゃないか。やりたい、でもできないこともある。やらなければならないことと、やって欲しいと望まれていることが自分の中と外とで渦巻いている。そんな状況に置かれた女性の心理を、力任せに表情として現出させる。そのパワーが観客を引き込んでいく。

 どうやら賛否両論、というか、好評不評がハッキリと分かれる映画のようだが、賛や否は本作のデキに起因するのではなく、観る者の心の中にこそ理由があるように思う。
 たとえ身勝手であっても、他人には理解できなくとも、聖人として振る舞えなくとも、武器商人に利用されたり利用したりしたとしても、救いを必要としている人に手を差し伸べることは尊い行為であるはずだ。
 それを認めたうえで、じゃあ自分はどう生き、何をするべきか。そう考え始めるキッカケとなり得る作品ではないだろうか。

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