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2008/02/29

ハードキャンディ

監督:デヴィッド・スレイド
出演:パトリック・ウィルソン/エレン・ペイジ/サンドラ・オー/ジェニファー・ホームズ/ギルバート・ジョン

30点満点中15点=監3/話2/出3/芸3/技4

【14歳の少女に死を突きつけられる男】
 出会い系サイトで知り合ったカメラマンのジェフと14歳の少女ヘイリーは、何度かのチャットの後、カフェで待ち合わせをする。ヘイリーの好きなミュージシャンのライブ音源を聴かせるため、自宅に彼女を誘うジェフ。だがヘイリーの作ったカクテルを飲むうち意識は朦朧とし、目覚めたときにはイスに縛りつけられていた。「このときを待っていた」というヘイリー。彼女は行方不明の少女をジェフが殺したと決めつけて、家捜しを始める。
(2005年 アメリカ)

【見た目はまずまず、中身はイマイチ】
 お話としては、甘さたっぷりというか、独りよがりだ。
 ジェフとヘイリーの日常をまったくといっていいほど描かなかったのは、まぁ構わない。立場の逆転と、それによってもたらされる理不尽な(いや理不尽ってわけじゃないんだけれど)死の恐怖、というテーマで映画を作りたかったわけだから、「強者=手だれで変態の大人」vs「弱者=あどけない少女」、という構図さえ観客に理解させればいいわけで、細かなところは軽視してもいいだろう。

 が、なぜジェフは最終的にあのような行動を取るのか、つまり、ジャネルに対する想いの深さ、他のあらゆることを犠牲にしてでも「ジャネルには、いい男だと思われたい」という決意については、説得力を持たせることが最低限必要だったはず。
 それがないために、ジェフの“のっぴきならない選択”という部分での恐怖がウソっぽくなり、スンナリ納得できない物語となってしまっている。
 身動きが取れないっていう恐怖は、もういいんだよ。ぶっちゃけジェフ君もさ、さっさとヘイリーなんか殺しちゃえばいいじゃん。
 でも、「それができない恐怖」へと持って行きたかったわけだから、展開の説得力の不足は致命的だ。

 ただ演出プランニングには、話のマズさをカバーするだけの面白い部分があった。
 まずは、バストアップ以上の寄りの画角で押し通すという力技で、ジェフの焦燥と、ヘイリーの「小悪魔チックにも限度があるだろうが」と叫びたくなる幼い危なさとを、コッテリとすくい上げていく。
 そこへ突如として挟まれる引きのカット。そこでは主に性的あるいは暴力的なショックが盛り込まれて、衝撃は倍加する。
 短くカットをつないだかと思えば長まわしで緊迫感を高めてみたり、会話が続いたかと思えば急にアクションへと移行して緩急をつけてみたり。
 それらカット/シーンの背後に見えるアーティスティックな美術も、極めて現代的な問題(幼女嗜好とネット空間のアブナさ)を取り上げた本作にはふさわしいものだし、ジェフの鼻水や赤黒く腫れた手もリアル。

 パトリック・ウィルソンは『オペラ座の怪人』のラウルとは180度異なる役柄で(小娘に振り回されるという点では同じだが)驚かせてくれるし、エレン・ペイジ(オスカー・ノミネートではからずも話題になりましたな)は“美人になりきれない女の子”特有の色気を漂わせるし、キャスティングもなかなか面白い。

 そうした見た目の楽しさは、まずまずといえる。せっかくの演出センスとキャストを、お話的説得力の不足が台無しにしてしまった作品だろう。

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