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2008/02/17

時計じかけのオレンジ

監督:スタンリー・キューブリック
出演:マルコム・マクダウェル/パトリック・マギー/マイケル・ベイツ/ウォーレン・クラーク/カール・デュアリング/オーブリー・モリス

30点満点中16点=監3/話3/出3/芸4/技3

【破壊、狂気、暴力、衝動……。彼の行き着く果て】
 白服に身を包んだ仲間3人とともに夜ごと町へ繰り出し、破壊と暴力とイン・アウトとを繰り返す青年アレックス。市営住宅でベートーベンの交響曲第九番に身を委ね、引き出しの蛇を愛で、アルトラを謳歌する日々。彼の振る舞いに業を煮やしたディムの裏切りは封じ込めたはずだったが、不意を突かれ警察に捕まるときがやって来る。内務大臣の政策により、彼は“法”ではなく“治療”によって生まれ変わることになるのだった。
(1971年 イギリス)

【意志によって作られた、認めたくない作品】
 極端なまでに抑えられたカット数。そこはアップだろうという場面でも引きの画角を見せ続け、そこは引きだろうというところで人物の表情を捉え続ける。
 どことなく映研の自主製作っぽい空気が漂うが、単に“撮っている”だけにあらず、そこかしこから“意志”があふれ出す。

 長まわしがもたらす水没リンチの緊迫感。電子的にアレンジされた音楽が心を逆なでし、唐突なタイミングで思わぬところから出てくるセリフと人物が脳をかき乱す。誰も彼もが神経質に、叫ぶように話す。保護者然として接してくるが、その実は支配者であろうとする大人たち。とても落ち着いて暮らせそうにないサイケデリックな町。刹那的な毎日。映画もまた先の読めない展開。
 募るイライラ。ロシア語と英語のスラングを組み合わせた「ナッドサット語」をジャーゴンとし、内へ内へと閉じこもり、その反動として生まれる無軌道な暴力のみを救いとする若者たち。

 そして、この映画が現代社会の行方を暗示するものであることを、画面中央奥へと収束する一点透視法の画面が伝える。
 絶望的な未来から逃れるため、人を人でなくする道が示され、それは地獄にほかならないことも示される。

 撮りかた、美術や音楽、演技、それらをまとめて退廃と狂気と焦燥と快楽とのカオスを作り出した演出。すべてが“意志”によって、1つのベクトルへと向かう、そうやって作られた映画だ。

 と、なんだかわかったような感想を並べてみたが、あんまり好きになれないなぁ。たぶん自分の中にある“凶”や“狂”の部分が、同属嫌悪を引き起こしているのかも知れない。
 もともと「ストーリー映画を撮る」というよりも「メッセージの映像化」を志向する人であるところのキューブリックは、映画に娯楽性を求める自分とは体質的に合わないのかも知れない。
 それでも観てしまうのは、やっぱり“凶”や“狂”の部分がシンパシーを引き起こしているのだろう。

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