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2008/03/27

ウェルカム・トゥ・サラエボ

監督:マイケル・ウィンターボトム
出演:スティーヴン・ディレイン/ウディ・ハレルソン/ケリー・フォックス/エミラ・ヌシェヴィッチ/ゴラン・ヴィシュニッチ/ジェームズ・ネスビット/エミリー・ロイド/マリサ・トメイ/ドラゼン・シバック/イゴール・ジャンバゾフ

30点満点中20点=監4/話5/出3/芸4/技4

【戦火の中、彼は少女を助け出したいと思った】
 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の只中、銃弾が飛び交うサラエボで取材を続けるイギリス人ジャーナリストのマイケル。道には死体が転がり、TVクルーもたびたび銃声に身を潜める毎日を過ごす。マイケルは孤児院の様子を幾度もリポートするのだが、重い腰を上げようとしない西側諸国。苛立ちを募らせたマイケルは、遂に自らの力で孤児をイギリスへと連れ出す計画を実行に移す。危険なその行為は、意外な展開を呼ぶことになる。
(1997年 イギリス/アメリカ)

★ネタバレを含みます 読む前に観ましょう★

【戦争(反戦)の映画であり、ジャーナリズムの映画でもある】
 まずは、勉強から。
 1990年代、東ヨーロッパには民主化の嵐が吹き荒れ、ユーゴスラビアでも民族・地域ごとの独立運動と国家解体が進む。1991年に独立したのが中部のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都はサラエボ。イビチャ・オシム監督の出身地だ。
 だがボスニア・ヘルツェゴビナの中でも、セルビア人(ギリシア正教)、ボシュニャク人(イスラム教)、クロアチア人(ローマ・カトリック)という3つの民族間で対立が深まり、内戦が勃発する。
 首都サラエボはボシュニャク人が防衛していたが、武力で優勢を誇るセルビア人がこれを包囲・砲撃(兵士たちが壁に書く『ジブコ』は、セルビア人の指導者ジブコ・ラディシッチのことだろう)。この紛争は「第二次世界大戦以降で最大」とされる数の死者・行方不明者・難民を出した。

 作中でも言及されるが「サラエボから避難すれば、ヤツらの思うつぼ。ここに踏みとどまって防衛しなければならない」というボシュニャク側の方針が犠牲者を増やすことにつながったのだろう。
 ただ、ボスニア人ドライバーのリストが「逃げる」という選択肢を捨てたこともうなずける。彼が嫌う『出エジプト記』は、モーゼがイスラエル人を率いてエジプトから“脱出する”物語。その後イスラエル人が長きに渡って放浪の歴史をたどったことを思えば、リストと同じように「ここで戦い、生き抜く」という道を選んだ人も多かったに違いない。
 そうして町は「非戦闘員が足早に街路を駆ける戦場」と化したのだ。

 その戦場の真っ只中に乗り込んでいくのが本作。映画としての“ストーリー部分”の合間にドキュメンタリー(あるいは実録を模した部分)が挿入されることが大きな特色となっている。そこでダイレクトに捉えられるのは、流れる血、横たわる死体、崩れ落ちそうな建物、銃声……。そうして観る者をサラエボのド真ん中に放り込むのだ。
 間接的にも、皮肉と、静かな悲劇が散らされる。戦場で、命を削る深酒やタバコと縁を切れない人々。丘に立つ家並みはあんなにも綺麗なのに、近寄れば砲撃による無残な姿。そこを縫って走る観光バス。幼きロードランナーは、やがて名もなき死体となるのだろう。
 戦争反対と叫ぶよりも、強く哀しく、その行為の悲惨さを物語る。

 印象深いのは「追いかける」カメラワークが多いことだ。しょせんメディアは起こってしまったことを後から追うしかなく、誰かを動かしたり何かを止めたりする力を持ち得ないのではないか。そんな、ジャーナリズムの限界に対する悔しさの隠喩だろうか。

 そもそもジャーナリズムって、何だろう。少なくとも芸能人のゴシップを嗅ぎまわることでないことは確かだが、たぶん「報道」や「事実を伝えること」でもないはずだ。何の役にも立たず道義的にも間違った「高度な政治的判断」という馬鹿馬鹿しいものを覆してブチ壊す、それだけのパワーを発揮してはじめてジャーナリズムと呼べるのではないだろうか。
 だが、追いかけるしかないという悔しさ。バスケやビートルズの話題から一気に転調するマイケルとフリンの会話からも、同様の悔しさ・苛立ちがリアリティたっぷりにあふれ出す。
 ビデオにうつされるのが、人生の過酷さや人の愚かさではなく、楽しい一瞬だけであったなら。そんな叶わぬ思いも滲み出す。
 そうした意味で本作は、ジャーナリズムを描いた映画ともいえるだろう。

 ラストで奏でられるのはトーマゾ・アルビノーニ作『弦楽とオルガンのためのアダージョ ト短調』。Wikipediaでは以下のように解説されている。
「アルビノーニ作品のほとんどは、第二次世界大戦中のドレスデン空襲の際に失われてしまった。『アルビノーニのアダージョ ト短調』は、1945年にレモ・ジャゾットがドレスデン国立図書館の廃墟の中で偶然に発見したトリオ・ソナタの緩徐楽章の断片から『復元』されたものといわれている」

 つまり、この場面にはこの曲以外にあり得なかった。チェロの音に、さまざまな想いが重なる。サラエボが世界でもっとも悲惨な地となったこと。瓦礫の下に多くの“失ってはならないもの”が埋もれていること。だが、その瓦礫の世界からもういちど希望を紡ぎ出せる可能性もあること。
 確かに人は愚かだが、もっと上手くやっていける生き物だと信じたいものである。

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コメント

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

投稿: 株の初心者 | 2014/06/14 11:03

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