記憶の棘
監督:ジョナサン・グレイザー
出演:ニコール・キッドマン/キャメロン・ブライト/ダニー・ヒューストン/ローレン・バコール/アン・ヘッシュ/ピーター・ストーメア/アリソン・エリオット/アーリス・ハワード/カーラ・セイモア/テッド・レヴィン
30点満点中17点=監4/話2/出4/芸3/技4
【その少年は、本当に彼の生まれ変わりなの?】
10年前に最愛の夫を亡くしたアナ。ようやく心の傷も癒えて、優しいジョゼフのプロポーズを受け入れることにする。そこへ現れたのは、10歳の少年。「僕だよアナ。ショーンだ」。自分は死んだ夫だ、そう主張する少年の言葉に戸惑うアナ。彼は、アナと本物のショーンしか知らないことまで知っていた。周囲はふたりを引き離そうとするが、アナはショーン少年との想いの距離を近づけてゆき、ジョゼフは怒りとともに家を出るのだった。
(2004年 アメリカ)
★ネタバレかも知れません★
【たっぷりとした100分】
神のみわざか、安っぽいオカルトか、いずれにしろ「生まれ変わり」をキーワードとして、中盤までは説得力の薄い話。そこへ、強引な力技でリアリティを付与していく。
とてつもない“間(ま)”。たっぷりと見せられる、アナの心の揺れ。たっぷりと費やされる、1つの台詞から次の台詞までの時間。
さらに各シーンでは、まずファーストカットで「!」「?」と感じさせ、それらを解きほぐしていくという語り口の妙。
あるいは、本来は画面の中に収めるべきものを画面の外に置くことで、空間の広がりと、人間の視界の狭さとを同時に表現する。
全体にアンダー気味で統一し、背景のフォーカスにまでこだわったカメラが冷え冷えとした空気と人物たちの孤立感を拾い上げる。
時にオーケストラが大仰に、はたまた電子的な音が神経質に、アナの不安を増長させていく。
ジョナサン・グレイザー(CMやミュージック・クリップで活躍した人らしい)の演出、ハリス・サヴィデス(『ゾディアック』など)の撮影、アレクサンドル・デプラ(『スズメバチ』など)の音楽、いずれも確信を持ってこの不可思議な世界を作り上げていく。
出演陣も、やたらと豪華で、実力派ぞろい。あいも変わらず美しいニコール・キッドマンは、もう肌の質感まで寂しげで、ダニー・ヒューストンは被害者然としていて、アリソン・エリオットは不気味で。そこにキャメロン・ブライト君も、まったく気後れせず存在感を刻み込む。
こうした面々であったからこそ、この“たっぷり”も実現したのだということがよくわかる。
そして、やがて明かされる真相。その謎解きや種明かしがテーマではないとはいえ、完全に台詞による説明に頼ったのはいただけない。
ただ、明かされてからの“その後”が、またたっぷりと、観る者をシェイクするように仕上げられている。
あの、カメラに収まるショーン少年の、もうこの出来事以前の彼には二度と戻れないことをうかがわせる表情。浜辺のアナの、何も手にできなかった愚かで哀れな女の悲痛。ウソではなかったのに、ウソですませること以外に次の一歩を踏み出す術を見つけられず、その一歩を踏み外してしまう人間の悲哀。
幸せとは、決して真実の中にあるわけでも、現実の中に存在するわけでもないということを、突きつけてくる。そのための、たっぷりとした100分である。
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