トランスアメリカ
監督:ダンカン・タッカー
出演:フェリシティ・ハフマン/ケヴィン・ゼガーズ/フィオヌラ・フラナガン/バート・ヤング/キャリー・プレストン/エリザベス・ペーニャ/グレアム・グリーン
30点満点中20点=監4/話5/出5/芸3/技3
【もうすぐオンナ、そんなとき、不意に突きつけられた過去】
LA在住のブリーは、週末に性転換手術を控えていた。これでやっと女になれる! ところがNYの警察から1本の電話。彼の息子トビーが万引きで捕まっているのだという。そういえば学生時代に一度だけ、女性と関係を持ったことが……。仕方なく、男であることも父であることも隠してトビーの身柄を引き受けたブリー。クルマを手に入れ、手術のため、俳優になりたいというトビーの夢をかなえるため、ふたりは陸路、西海岸を目指す。
(2005年 アメリカ)
【濃密な情報量で描かれる、人の愚かさと愛おしさ】
一瞬で、一瞬以上のことをわからせる手際の、なんと鮮やかなこと。
ブリーの頬や口の動きから、手術前の期待と不安がひしひしと伝わってくる。息子だという人物の年齢を訊ねるブリーの行為・表情からは、彼(または彼女)が十数年前の出来事を振り返って「思い当たる節がある」と感じていることがわかる。
カエルを盗み、芸能界に憧れ、ベッドのそばにフィギュアを飾り、スネて寝袋に入るトビーの姿からは、彼がまだ“子ども”であることがわかる。カルヴィンに「お前はチェロキー族だな」といわれて、かすかに照れるトビーの表情が、不幸な生い立ちの彼が何にすがって生きてきたかを語る。
コロっと態度を変えるおばあちゃん。動じないおじいちゃん。憎まれ口の妹。一家の態度から、このファミリーがどんな価値観のもとに時間を過ごしてきたかがにじみ出してくる。
ブリーを真似てグラスにレモンを絞るトビー。トビーの野菜嫌いをちゃんとチェックしていて、それを直そうとするブリー。いつの間にか、たがいに自然と意識しあい、必要としあう関係になっていくことが、ちょっとしたエピソードで表現される。
まったく飾ったところもカッコつけたところもない映画なのだが、こんなにもいろいろな想いが、各カット/シーンに詰まっている。実に濃密。
その濃さを支えるフェリシティ・ハフマンの、オジサンとレディの間を行き来する演技も驚嘆ものだ。
そして、この映画を観ればロードムービーが、単に偶発的・空間的・時間的な移動を見せるものではなく、どうしても旅をしなければならなかった人たちの心の彷徨を描くためのものであることが、よくわかる。
答えや解決策を見つけ出すためには、あるいはちょっと混乱した気持ちを整理するためには、そこでじっとしてちゃダメなのだ。「どこかへ向かう」という行動を取らざるを得ないのだ。
旅路の中で、あがきながら、偶発的・空間的・時間的にではなく、必然的・精神的・社会的に一歩前へ踏み出す、そのためのキッカケや度胸や理由を手に入れる。それがロードムービーなのだ。
エンドロールに流れる『Travelin' Thru』が心に染みる。
それにしても、人間って、なんておバカなのだろう。認めあうために傷つけあい、傷つけあうために認めあい、傷つけることと認めることをイコールで結んでしまう、そんな愚かさを抱えて生きる、人間。
ああ、だからこそ、この生き物は愛おしいのである。
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