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2008/04/21

ダ・ヴィンチ・コード

監督:ロン・ハワード
出演:トム・ハンクス/オドレイ・トトゥ/イアン・マッケラン/ジャン・レノ/ポール・ベタニー/アルフレッド・モリナ/エチエンヌ・シコ/ユルゲン・プロフノウ/ジャン=イヴ・ベルテルー/ジャン=ピエール・マリエール

30点満点中17点=監4/話2/出3/芸4/技4

【守り続けられた、神の子の秘密】
 ルーブル美術館の館長ソニエールが狂信者によって殺害される。だがファーシュ警部が容疑者としてマークしたのは、ダイイング・メッセージに名前が残されていたロバート・ラングドン教授だった。紋章の専門家であるロバートは、ソニエールの孫娘ソフィーや旧友リーの助けを借りながら、逃亡の道中でソニエールが守り続けた“神の力のしるし”の秘密を探る。彼らのもとに警察と、キリスト教の影の評議会オプス・デイが迫ろうとしていた。
(2006年 アメリカ)

【たいしたことのない話だが、まずまず観られる】
 原作は未読。が、映画を観る限りお話としては、たいしたことはない。
 キリスト教の教義や意義を根底から揺るがす秘密といわれても“ネタ”程度にしか感じられないし、その秘密を探索・追跡する過程もヒリヒリするミステリーには成り得ていない。盛り込まれた意外性も、驚くほどのものではないだろう。
 脚色に際しても、たぶん「そこそこにまとめた」くらいのレベル。ひとつの謎があって、それを解いたら次の謎があって、また次。説得力の薄い謎解きを繰り返して、合間には説明に次ぐ説明だ。
 これを観れば、謎解きの過程におけるサスペンスや説得力において、たとえば『セブン』(デヴィッド・フィンチャー監督)がいかに優れているかがよくわかる。
 全体に「目と耳でわからせる」という映画らしさは少なく、強引にカー・アクションや裏切りを入れたりして、B級ともいえる展開である。

 ただ、そんなストーリーを「観られる」ものに仕上げたのは、ロン・ハワードの手腕だろう。
 表情や行動の間に風景・舞台などの“捨てカット”をポンと挟み、あるいはただ電話を受けるだけのシーンに4~5カットも費やして、画面にリズムを作り出している。フラッシュバックを利用して簡潔に人(シラスやロバート)の“歪み”や恐怖を描写するなど、人物の背景を必要最低限だけ示してくれるのもいい。
 歴史の再現部分に、贅沢なまでの予算を投入したのも効いている。このおかげで安っぽくならずにすんだ。深部を探る物語であることをイメージづけるオープニング、そこに乗っかるハンス・ジマーの重々しい音楽、原作読者に「ああ、なるほどこういう場所なんだ」と感じさせるであろうロケーションと美術も優秀だろう。

 露出のコントロールと、それによって作り出される絵もなかなかだ。特にソフィーについては、横顔だったり陰があったりして、表情をクッキリうつし出すカットがほとんどない。その撮影プランが、本作のキーである女性の神秘性を浮き彫りにする。考えられた撮りかただ。

 一応は「すべて人次第」へと落ち着かせる本作。なるほどそれが人という生きものと宗教の真理だろう。『パッション』の項で「歴史上、もっとも多くの戦争を引き起こした原因はキリスト教にある」という話に触れたが、別にイエスにすべての責任があるわけではなく、彼の教えを受け取る人間の側に“歪み”があったせいであることは明らかだ。
 神を認めるのか認めないのか、どのような形で認めるのか、どんな行動で自分の立場を示すのか、何を第一義にして生き誰を守ろうとするのか……、すべては己次第。
 そうしたメッセージをしっかりと込めつつ退屈しないものにまとめた点は評価していいのではないだろうか。

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