ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ=ルイス/ディロン・フレイジャー/ポール・ダノ/キアラン・ハインズ/ケヴィン・J・オコナー/バリー・デル・シャーマン/ラッセル・ハーバード/デヴィッド・ウィリス/ハンス・ホウズ/ロバート・ヒルズ
30点満点中20点=監4/話3/出5/芸4/技4
【石油屋、西部の農村で穴を掘る】
自らを“石油屋”と名乗るダニエル・プレインビューは、採掘中の事故で父親を亡くしたH.W.を自分の子として育てながら、フレッチャーら仕事仲間とともに自らの油井を増やしていく。あるとき、リトル・ボストンの農場に暮らす青年ポールから「自分の土地には石油が眠っている」との情報を買ったダニエルは、一体の土地を買い占めて採掘を始める。ポールの弟で宣教師・預言者のイーライは、彼の存在を疎ましく思うのだった。
(2007年 アメリカ)
★ややネタバレを含みます★
【行き着く先は、すべて不確か】
スクリーンに甘美な世界が広がる。
第一に演技。演説調のセリフまわしで観る者を自分のペースへと引き込むオスカー受賞のダニエル・デイ=ルイスだけではない。彼にぶつかるようにしてポール・ダノも“凡”たる者をよく演じる。かなりの数が起用されたという現地住民のエキストラも画面に馴染む。
とりわけ素晴らしいのがH.W.役のディロン・フレイジャー君。衣装の効果もあってか、その立ち姿はダニエルそっくり。父の薫陶を受け、父に反発しながらも父を愛し続けるH.W.を見事に表現し、ダニエルの隣や背景で、しっかりと本作の重要なワンピースとしての存在感を示す。これが映画初出演とは思えないほどの輝きだ。
やはりオスカーを獲得した撮影にも味がある。適度にクリア、適度にボヤけていて、グラフィカルではなくアーティスティックなレイアウトが保たれる。長くゆっくり大きく動いて、対象となるものを際立たせていく。ダニエルに靴を見せるH.W.や帰って来たH.W.を迎え入れるダニエルを描くロングショットの雄弁さも素晴らしい。
ボロボロの小屋、未開の荒野、拾い上げられる鼻息など、美術やロケーションや音作りも良質だ。
そして、ジョニー・グリーンウッドによる音楽。衝撃的な不協和音がダニエルの中の不安を表面へと持ち上げ、とともに、この映画が只者ではないということも告げる。
ラストには完全主義者として知られるブラームスのバイオリン・コンツェルト、Op.77。Wikipediaによればチャイコフスキーによって「詩情が欠けているのに、異常なほど深遠さを装ってみせる」と酷評された曲らしい。それはまさにダニエルの生きざまそのものではないか。
その読みが正しいかはともかく、意志のある映画音楽が創られていたのは確かだろう。
と、上々のパーツをいくつも得て、ポール・トーマス・アンダーソンはディテール重視&見せてわからせる&聞かせて混乱させる演出を徹底する。
次第に高くなる油井用やぐら、いったん埋め始めた死体の脚を穴へ押し込む小さな作業、メニュー越しの主人公など、妥当かつ意欲的な場面の数々。
金と石油を掘り当てる過程をほとんどセリフなしで描いた冒頭部、ダニエルとH.W.によるうずら狩りのシーンも秀逸。説明などなくともこれだけ緊張感を持続させられるのだと示した、映画のお手本ともなるパートだ。
その後も無駄なセリフを省きつつ、心情は偽りの言葉で語られ、その中にポロリと零れ落ちる真実を観客が見つけ出すことを要求する。
独特かつ身震いする語り口である。
キャッチコピーからは主人公ダニエルが“欲望のモンスター”と化していく様子を描いた物語のように思えるが、いや、そうではない。彼のスタイルは終始一貫している。仕事をし続けただけ、掘り続けただけ、石油屋であり続けただけ。
手法はいかにも強引だが、それだって自分のルールに則って事を運びたかっただけ、ルールを無視しようとする者を認めなかっただけのこと。子育てにしろ仕事にしろ淡々粛々と進め、必要なタイミングで必要なことをやり、周囲には態度で示せばいいと信じ、その通りに行動しただけのこと。
ただ、冷徹にはなり切れなかった。しがらみや情を捨て切れなかった。そして彼が何になりたかったのか、彼自身にもわからなかったはず。真っ直ぐに生きて、その生きざまを周囲(主にH.W.)が評価してくれればいいと考えながらも、自分がどこへ向かっているのかわからない不安感が怒りや憎しみとなって積もっていったのだ。
イーライを毛嫌いするのは、ダニエルがアンチ宗教の立場を取るからではない。偽りだらけのイーライという存在に自分自身を見るような気がして、それが同属への嫌悪となって現れたのだろう。
H.W.を突き放すのも、自分の中の偽りを吐き出したかったからだろう。
そんな、自分自身が何者かすらわからないダニエルという人物を主人公にした物語は、結果、確たる方向性を持たず、ひたすら彼の仕事ぶりだけを紡いでいくことになる。
観るほうとしても、彼のどの部分にどのように感情移入していいのか、あるいは彼の何を否定すべきなのか、心情をどう分析すべきか、わからぬままに(いい意味で)座り心地の悪い時間が流れる。
最後に「終わった」と吐くダニエル。何が終わったのか、誰にも理解できないだろう。が、人ひとりの人生なんてそういうものなのだ。たかだか2時間半で描き切れるものではない。
しょせん映画は紙芝居。かいつまんで語るだけ。その事実を、流れるのではなく切り換わるスタイルのエンド・クレジットに感じる作品である。
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