アフタースクール
監督:内田けんじ
出演:大泉洋/佐々木蔵之介/堺雅人/常盤貴子/田畑智子/北見敏之/大石吾朗/奥田達士/尾上寛之/桃生亜希子/沼田爆/田村泰二郎/佐藤佐吉/長江英和/山本龍二/音尾琢真/中山祐一郎/吉武怜朗/五十嵐令子/山本圭/伊武雅刀
30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3
【同級生の行方を追う男たち】
危ない仕事も引き受ける私立探偵の北沢は、スーツ姿の男と派手な女がいっしょに収まった写真を受け取り、その男=木村の行方を突き止めるよう依頼される。木村の出身中学を訪れた北沢は、卒業生の島崎を名乗り、同校の教師で木村の同級生でもある神野と接触、ふたりは協力して木村を探すことになる。が、この人探しの果てには、木村の勤務先・梶山商事、北沢を追う片岡組の組長、その他大勢を巻き込む“裏”が待っていた。
(2008年 日本)
【人の心の機微とダマシとの融合】
あの『運命じゃない人』の内田けんじ作品、そのうえ宣伝の段階から「甘く見てるとダマされちゃいますよ」と謳っているのだから、どうしたって構えて観てしまう。
その高いハードルをクリアして「ああっ」と思わせるのだから、たいしたものだ。しかも随所に笑いを散りばめてあって、ところが後で考えるとそれが決して“ただ笑わせるためのもの”でなく、ちゃんと意味のある出来事だったりする。相当に緻密なシナリオといえるだろう。
ちなみにパンフレットにはシナリオ全文を採録(というか、本編からの書き起こしか)。誤植は多いが「ああ、あのときのシーンにはこういう秘密が隠されていたのか」と驚きとともに確認するのに役立つ。嬉しいサービスである。
そのシナリオを、演出がキッチリと視覚化している。監督の頭の中にストーリーがカッチリと詰め込まれていたからこそ可能だったことだろう。
ラストでいくらか説明的になったことは否めないし、映画的なスケールが十分あるとも言い難い。ただ、「観ている人を騙す」のではなく「たまたま僕らは真相を知らない」という体裁の作品になっていて、それを実現するために「のちのち意味を持ってくることをアッサリとうつし、でも観客の印象に残らせる」という微妙な撮りかたが徹底されている。フェアな作りといえるし、小説ではカタチにできなかった内容とも思える。
また70年代のテレビ的ともいえる画面の野暮ったさが、“探偵モノ”ならではの猥雑さを引き出して本作の魅力としているのも確かだ。
見逃せないのはキャスティング。監督いわく「いい人にも悪い人にも見えるから」と起用された主役男性3人は、いずれもこのメンツでなければならなかったと思わせるハマリかた。
お人よしだがうっすら知性を漂わせる大泉洋の神野、世の中すべてを理解しているつもりでいる佐々木蔵之介の北沢、そして「やっぱり堺雅人はこうでなくっちゃ」と感じさせる堺雅人。実に上質なアンサンブル。
田畑智子も極上の演技力を発揮しているし(もう最後のセリフなんか萌えですよ、アレ)、2~3シーンしか登場しない脇役たちに「ひと目見て認識できる、いかにもそれっぽい人」を配してあるのもいい。
役者の顔と名前がなかなか一致しない+登場人物の名前を覚えようとしないうちの妻が、これだけ複雑なストーリーを混乱なく脳内処理できたのは、配役の上手さが相当に寄与していると思う。
そして、ストーリーが1つのテーマへと収束していく語り(または騙り)の妙。ただのダマシ系にとどまらず、“人の心の機微”が静かに漂うこの映画は「なぜこのようなことが起こったのかを観客が納得できる作品」へと昇華している。それゆえ、観る価値のある映画となっているのだ。
映画は“いいたいことを表現する”ための手法の1つだ。かつ、映画でしか成し得ない方法で“いいたいことを表現する”義務を負う。そう考えた場合、優れたシナリオと演出、キャストによってそれをまっとうしてみせた本作は、まぎれもなく映画といえるだろう。
以下は余談。“人の心の機微”とダマシとを見事に融合させた小説の秀作として西澤保彦の短編『蓮華の花』をあげておきます。
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