« X-MEN:ファイナルディシジョン | トップページ | ボビー »

2008/05/17

最高の人生の見つけ方

監督:ロブ・ライナー
出演:ジャック・ニコルソン/モーガン・フリーマン/ショーン・ヘイズ/ビヴァリー・トッド/ロブ・モロー/アルフォンソ・フリーマン/ロイーナ・キング/ジェニファー・デフランシスコ/テイラー・アン・トンプソン/リチャード・マクゴナガル/ジョナサン・マンガム

30点満点中19点=監4/話4/出4/芸3/技4

【最期の6か月】
 ガンで入院した自動車修理工のカーターが同室になったのは、その病院の経営者エドワード。カーターのもとには妻や息子が見舞いに訪れるが、家族を持たず横柄な態度のエドワードには生真面目な秘書トマスが付き添うだけだ。ともに余命6か月と宣告された彼らは病院を抜け出し、カーターが書いた「死ぬまでにやりたいこと」=棺桶リストを実行に移す。スカイ・ダイビング、マスタングの運転、旅……。その中で彼らが見つけた宝物とは?
(2007年 アメリカ)

★ちょっとだけネタバレです★

【人の生の蓄積】
 G2なんである。それも重要なステップレースじゃなくて、日経新春杯とか札幌記念あたり。バリバリのG1馬が、別に使わなくってもいいんだけれど調整代わりに走り、当たり前のように勝つ、みたいな。
 それだけに、安心感がある。そして、そういうレースが強く印象に残ることも意外と多い。

 バリバリのG1馬=ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンは、いとも軽々と、余命わずかな老人たちを演じる。そこに気張りはない。悪態をつくニコルソンも寂しげに微笑むニコルソンも、呆然と沈むフリーマンもゲラゲラと笑うフリーマンも、どこかで見た姿、彼らはキャリアの蓄積を自然とオモテに出しているだけである。

 そう、蓄積。それが本作のテーマだ。
 カーターは知識ばかり増やしながら、後悔の多い人生を日常として積み重ねてきた。エドワードはお金だけに執着し、仕事ばかりで愛のない日常を積み重ねてきた。
 挙げ句の果ての入院と闘病は、彼らにとっては非日常であり理不尽なものにも感じられたことだろう。が、それだって実は、彼ら(だけでなくすべての人)が蓄積してきた人生の当然の帰結、少なくとも十分に考えうる、特別なことや非日常の出来事ではなくて、あったり起こったりして然るべき「人生のエンディング」のように思える。
 余命宣告という出来事が、あくまでも“日常”であることを、いつものように過ごしている今日と隣接している明日であることを、クローズアップされるタバコ、薬の副作用に苦しみ続ける姿、病室に貼られた絵や置かれたコーヒーメーカーが物語る。

 もちろん、いざ目の前に死を突きつけられれば、冷静ではいられない。混沌の中に叩き込まれるのも無理はない。そこでカーターは信仰の大切さを、エドワードは神の不在を解くのだが、それは恐らく「無慈悲な神というものはいない、と願う心」という意味で限りなくイコールに近い姿勢だろう。

 そして彼らは、最期の時間に何も残(遺)そうとはしない。バケット・リストに書かれるのは「こんなことをしたい」「あそこへ行きたい」という消費と経験への欲求ばかりだ。
 彼らだってわかっているのだ。残そうと思って残せるものなんて、たかが知れている、本当に大切なものは自然に残るものなのだと。
 カーターは家族に囲まれている自分というものを見つめ直した。エドワードにはトマス(プラスアルファ)の存在があった。それらはまさに彼らふたりの「特別ではない日常」の蓄積として、彼らが逝った後でも残る特別なものなのである。

 画面の手前と奥に交互にフォーカスがあたる画面や、面と向かっての会話をカットバックで捉えるシーンが多用される。意味のない時間ばかりのように思えて実は誰もが自分という物語の中心を生きているということ、懸命な意見のぶつかりあいが誰かにとって意味のある自分を作っていくということを示す撮りかたに思える。
 できればもう20分、カーターとエドワードの戸惑い、懸命さ、再生、そして残してきたものの重みに触れたかったとも思うが、人の生の蓄積の最期の時間を暖かく切り取った映画として胸に残る作品であることは確かだ。

 それにしても「世界一の美女にキスをする」は反則。ここ号泣。

|

« X-MEN:ファイナルディシジョン | トップページ | ボビー »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/42478/41231717

この記事へのトラックバック一覧です: 最高の人生の見つけ方:

« X-MEN:ファイナルディシジョン | トップページ | ボビー »