ダウト
監督:ウェイン・ビーチ
出演:レイ・リオッタ/LL・クール・J(ジェームズ・トッド・スミス)/メキー・ファイファー/ジョリーン・ブラロック/ガイ・トーリー/テイ・ディグス/ブルース・マッギル/ジョー・グリファシ/キウェテル・イジョフォー
30点満点中15点=監3/話2/出4/芸3/技3
【誰が嘘をついているのか? 真相はどこにあるのか?】
ガス漏れ事故で街が騒然とする夜、検事補ノラは、自分をレイプしようとしたアイザック・デュパードを射殺したとして拘束される。気をはやらせるゴッドフリー警察局長を抑えて、市長選への立候補を控える検事のフォード・コールは、なんとか事を穏便にすませようとする。そこへアイザックの友人を名乗るルーサーが現れ、ノラとアイザックの本当の関係について話し始める。見え隠れするのは犯罪者ダニー・ルーデンの陰だった。
(2005年 アメリカ)
【鮮やかさや深みのないダマシ系】
原題は『Slow Burn』。意味は「こみ上げる怒り」だとか。登場人物の誰もとりたてて怒ってはいないので、邦題のほうがしっくりくる。
まぁ映画そのものは、しっくりしていないんだけれど。
ノラとルーサー、どちらのいうことが本当でどちらが嘘なのか、事件の裏にはどんな真実が隠されているのか、というのがお話の中心。観客はいろいろと裏読み(特に「登場人物の中にダニー・ルーデンが隠れているんだろうなぁ。さて、どいつだ?」という推理)をしながら観ることになり、で、最後に種明かし。
その種明かしがね、ばーっと畳み掛けて、はい終わり。劇中に張り巡らされた伏線と真実とが1つのキッカケでポンと結びついて「ああ、そういうことだったのか!」と驚嘆する、そういう鮮やかさがない。
嘘がバレると困るという焦り、「あれっ、こいつやっぱり嘘ついてるんじゃないの?」と勘ぐらせる一瞬、そういう描写もない。
どんどんと意外な事実が、思いも寄らないタイミングで積み上げられていく深さもない。
中心となる嘘以外にも、人種の偽装や虚勢など細かな嘘が散りばめられているのだが、それが物語に深みを与えることもない。
そうした各点で明らかに、過去に観たダマシ系の名作には劣るのだ。
そういう、たいしたことのない構成・構造を、わかりにくいセリフ(字幕の質も悪いと感じた)で無理やりオモワセブリックにまとめた作品。
撮っている範囲が狭くてテレビ的な絵作り、それは観やすさにつながる反面、映画としての風格を削ぐものでもある。
ほどほどに苦悩するレイ・リオッタ、美貌のジョリーン・ブラロック、飄々としたキウェテル・イジョフォーら役者にはそれなりに趣はあるが、とても誰かに勧められる作品ではない。
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