世界最速のインディアン
監督:ロジャー・ドナルドソン
出演:アンソニー・ホプキンス/アーロン・マーフィー/イーアン・リー/テッサ・ミッチェル/アニー・ホイットル/クレイグ・ホール/クリス・ウィリアムズ/クリスチャン・マリー・フーリンガー/ポール・ロドリゲス/サギナウ・グラント/ダイアン・ラッド/パトリック・フリューガー/クリス・ローフォード/ブルース・グリーンウッド/ウィリアム・ラッキング/ウォルトン・ゴギンズ/ジェシカ・コーフィール
30点満点中20点=監4/話4/出4/芸4/技4
【彼は最速を目指す】
ニュージーランドの小さな町、インバカーギル。年金暮らしのバート・マンローは、小屋のような家の中、愛車“インディアン”の改造だけに時間を費やしていた。彼が夢に描くのは、アメリカのボンヌヴィル。干上がった湖を舞台にしておこなわれる「最速決定戦」への出場だ。狭心症で倒れ、残された時間は少ないと感じたバートは、家財を抵当に入れ、貨物船へのツテも得て地球の裏側へとやって来る。道行の果てに、彼を待つものは……。
(2005年 ニュージーランド/アメリカ)
【安心をもらえる映画】
狂人あるいは悪党の印象が強いアンソニー・ホプキンスだが、この映画では駄々っ子のように跳ね、愛らしく微笑む。その落差に、まず驚く。
とはいえホプキンス演じるバートが、とりたてて好人物だとか、つい構いたくなる男だというわけではない。どちらかといえば無作法で不潔な老人、ヒーロー然としたところもないといっていい。
なのに、誰もが彼に敬意を払い、助けの手を差し伸べる。すべての人が優しい。
船乗り、税関の職員、ガソリンスタンドの子ども、ネイティヴ・アメリカンや警官など、ほんのささいな、恐らくはバートと二度と顔をあわせることはないであろう人たちとの会話や出来事まで、丁寧に、かつ淡々と詰め込んでいく。「あれもこれも」な作りだ。
だが、そのふわふわした不思議な肌あいが、そのまま本作の味わい・意志・意図となっている。
前のシーンの音(サイレンなど)が、次のシーンの頭に“漏れる”という手法がたびたび採られる。それによって示される「ある一瞬と別の一瞬が微妙につながって進む人生の連続性」。
あるいは背景・距離感まで計算された配置とアングルで捉えられる人物と景色、時間と場所によってコロコロと変化する色調、そんな周到な絵づくりによって切り取られる「社会や自然の中に置かれた、人間という生き物」。
そうして、つらつらと流れる時間の中で、いろいろなことが少しずつ重なりあい、たわいもなくちっぽけに紡がれるのが人の生である、という事実が迫ってくる。
そう、人は、細かく、少しずつ、誰かと関わりあって生きていこうとする生き物なのだ。たわいもなくちっぽけな毎日に、ちょっぴりの潤いを呼び込もうとするのだ。その積み重ねこそが人生なのだ。
バートが「頑張っている年寄り」だから、みんな手を貸すのではない。彼と自分が同じ時空で生きていて、その時空を共有するものどうしの敬意と思いやりとをもって接し、関わりあいを求めたり生んだりするのだ。
バートは「デカいことをしたかった」といい、確かにひとつのことを成したのだが、そんな“史実”とは無縁のところで、ちょっとした気づかいと言葉によって、誰かにとっての「この1週間でいちばん嬉しかった瞬間」を作っていく。
たぶん、バートの存在で価値観が揺らぐことのなかった人にとっても、彼との関わりは「その日の潤い」になったことだろう。バートもまた、名前も知らない人や会って間もない人たちの小さな親切やひと言が、ひっそりと自分の生を支えてくれていることを知っただろう。
随所に「夢を追わない人間は野菜と同じだ」とか「時にはルールを曲げることも必要だ」といった鋭いセリフが散らされる。また、目標に向けて一所懸命な老人の姿が胸を打つ作品として宣伝され、そのように受け止められてもいるようだ。
でも、あきらめないで、とか、努力は報われる、とか、そんな“いかにも感動ストーリー”の外面よりむしろ、「私の小さなおこないや、ちょっとした関わりあいが、誰かにとっての潤いになっているかも知れない」という希望に、安心をもらえる映画である。
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コメント
コメントを下さった、ひほさん
すみません、手違いでコメントを消してしまいました
謹んでお詫び申し上げます
投稿: たにがわ | 2008/08/20 00:02