キャリー
監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:シシー・スペイセク/エイミー・アーヴィング/ウィリアム・カット/ナンシー・アレン/ジョン・トラヴォルタ/ベティ・バックリー/パイパー・ローリー
30点満点中17点=監3/話3/出4/芸4/技3
★ややネタバレを含みます★
【少女が怒りに震えるとき】
町で疎まれている狂信的な母を持つ高校生のキャリーは、それゆえにクラスメイトからいじめられ、教師からも蔑まれ、友人を作ることも周囲と打ち解けることもなかった。彼女には重要な秘密がひとつ。怒りに我を忘れると心を制御できなくなり、念動力を発揮してしまうのだ。これまでの仕打ちを詫びようと考えたスーは、卒業プロムではキャリーをエスコートするようボーイフレンドのトミーに頼むのだが、その会場には悲劇が待っていた……。
(1976年 アメリカ)
【神の無慈悲が、ここにある】
ソフトフォーカスで撮られるロマンスも画面分割という実験的な手法も、いま観れば野暮ったくて空回り。「クリスとビリーはワルだが、スーやトミーにはキャリーを陥れる意志はない」ということがわかりづらかったり、先生にさえ裏切られたという怒りが伝わりにくかったり、母親がキャリーに感じている“おぞましさ”が十分に描かれていない&セリフによる回顧ですませてしまっている……など、全体的な語り口もちょっとマズい。
さすがに30年前の映画、全体的に取っ散らかっている感は否めない。
いっぽうで、この種の映画のお手本というべき演出やパーツも多い。
なによりも「この1曲だけで作曲者(ピノ・ドナッジオ)は一生暮らしていけるだろ」というくらい印象的な音楽が素晴らしい。SEともども、入れかた・止めかたが秀逸。ナナメにしたり、ゆっくり寄ったり、天井から撮ったり、不安をかきむしる絵作りも手堅い。
また、恐怖映画であることを離れたところでも、見せかたの上手さを感じさせる。たとえば寝る前のキスからは、キャリーが毎晩そうしている(母親がそうさせている)ことがわかるし、トミーの写真が載った新聞記事からはキャリーの密かな彼への憧れがわかる。縦ロールからは、キャリーがプロムにかける想いがにじみ出ている。
で、そうした“作り”の先に待つものといえば。
本作は舞台をBATES HIGH SCHOOLに置いてヒッチコックへのオマージュであることを示しつつ、つまり“怖がらせる”ことに注力しつつも、“考えさせる”という異色の仕上がりを見せる。
思い浮かぶのは「抑圧」の2文字。キャリーは母やクラスメイトから、キャリーの母は過去の不徳から、クラスメイトたちは教師から、もうあからさまなまでに抑圧されている。同様の構図は、多くの家庭や学校、社会に見られるものだろう。その構図の中で起こりうる事件を、本作は描こうとしているわけだ。
そして、なによりも誰よりも、本作の登場人物たちを押さえ込んでいるのは神にほかならない。神は救いではなく、ただ罰だけを与える。反宗教。天の無慈悲。そんなことを考えさせる映画になっているのである。
※↑2008年に観た際の感想です。これをスッカリと忘れ、ウッカリと2012年にまたも鑑賞、下記の感想を書きました。せっかくなので追加しておきます。
【その力が覚醒するとき】
狂的な信仰心を持つ母マーガレットによって、世間知らずのまま育った女子高生のキャリー。遅い初潮を迎えてパニックに陥った彼女に対するクリスらクラスメイトたちのイジメがエスカレートする中、キャリーは自分に宿った念動力に気づく。教師のコリンズはキャリーを勇気づけ、また唯一反省した級友スーはキャリーをプロムに誘うよう彼氏のトミーに頼むのだが、キャリーに恨みを持つクリスは復讐のための計画を進めるのだった。
(1976年 アメリカ)
【突出したクライマックス】
1976年といえば『タクシードライバー』や『ロッキー』の年ですか。当時の基準としても、序盤から中盤は地味で古臭くて野暮ったい感じ。ホントに面白くなるのかよと不安になって停止ボタンに指をかけるくらい。
ところがプロムに出かけようとするキャリーが母親と口論するあたり、画面がナナメったところから俄然緊迫感が増す。
もともとキャリーのパワーに神経質なSEを乗っけて「!」を与えヒステリックな空気を上手く作る技は見せていたんだけれど、それが加速。クライマックスの画面分割、豪快な炎、迫りくるクルマ、振り返ってドーン、崩れ落ちる家……。終盤の畳みかけかたは、別人が撮ったんじゃないのと思わせるほどスピード感と重量感が冴える。
シシー・スペイセクの存在も大きい。病的な面立ちに美が混じり、曝け出す度胸と狂気に満ちた視線。このとき26歳だったそうだけれど、違和感がないってのも凄い。B級ホラーのくせにオスカーノミネートという偉業にも納得できる。
ちなみにこれを観た2012年時点での26歳を日本の芸能界で探すと、柳原可奈子に市川由衣に杏に上野樹里に比嘉愛未に麻里子様にエリカ様。さすがに女子高生は無理があるな。小池徹平の高校生なら大丈夫か。
ただ内容的には30分の話。クドイし、じれったいし、先々どうなるのかバレバレだし、「クリスは終始ヤな女だけれどスーは心を入れ替えた」って設定は伝わりにくいしで、甘さもある。それを力ずくで100分に仕上げて歴史的な怪作にまで昇華させた点は評価できるけれど。
それにハッキリいって“ネタ映画”だよなぁ。
恐らくは世界中でクライマックスだけが何百万回も再生され、何万回もパロディが作られているはず。シャワーを浴び、血を流し、血を浴びる、というリンクとか、母とイエスとのシンクロとか、そういうオモワセブリックなところもネタ映画ファクターに思える。オープニングの裸だって客寄せのためっていう意味合いが強いんじゃないか。
それだけクライマックスが突出している、ということでもある。
●主なスタッフ
編集は『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』のポール・ハーシュ、プロダクションデザインは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のジャック・フィスク、衣装は『トロン』のロザンナ・ノートン。
音楽は『レイジング・ケイン』のピノ・ドナッジオ、サウンドエディターは『デッドマン・ウォーキング』のダン・セーブル、SFXは『スター・ウォーズ』のミニチュア・セクションに携わったグレッグ・アウアー、スタントは『ダーウィン・アワード』のディック・ジカー。
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