ブラス!
監督:マーク・ハーマン
出演:ピート・ポスルスウェイト/ユアン・マクレガー/タラ・フィッツジェラルド/スティーヴン・トンプキンソン/ジム・カーター/フィリップ・ジャクソン/ピーター・マーティン/メラニー・ヒル/スー・ジョンストン/メアリー・ヒーリー/ピーター・ガン
30点満点中20点=監5/話4/出4/芸4/技3
【閉鎖の危機を迎えた炭鉱で、楽団は奏で続ける】
炭鉱の閉鎖が相次ぐイギリス。ヨークシャーのグリムリー鉱山でも、閉鎖を唱える国・会社側と存続を主張する労働組合との紛糾が続く。100年の歴史を持つ鉱夫たちの楽団=グリムリー・コリアリー・バンドも、団員たちは貧しさにあえぎ、カンパもままならない状態。かつての団員の孫娘グロリアの加入、気がかりな労使交渉、家族の不和……。さまざまな問題を抱えながら、団長ダニーの指揮のもと、演奏大会を目標に楽団は練習を続ける。
(1996年 イギリス/アメリカ)
【強く、弱く、それが人生】
ここに描かれているのは単なる「斜陽産業の末路」ではなく、人の生きざまそのものである。
貫かれ、そして鮮やかなのは“映像による語り”だ。
たとえばグロリアが初めて演奏を披露するシーンでは「上手い」というセリフなしに、団員の表情を捉えて彼女のフリューゲルの腕前の高さをわからせる。暗く沈んだ鉱夫たちの顔から、廃止・存続を問う投票がどちらで決したのかがわかる。会議の風景など各場面に演奏が乗せられて、出来事の流れをテンポよく提示する。
そうなのだ。いちいち“説明”しなくても、こうして“描写”することで心情や出来事はちゃんと伝わるものなのだ。それこそが映画なのだ。
セリフや場面設定からも、そこに隠された意味や意図が滲み出す。
ハリーの「演奏は人が聴いてくれる」という言葉は、かつて彼が労使交渉の先頭に立って戦っていたときの、誰にも耳を傾けてもらえなかった悔しさを物語る。深刻な状況とピエロという対照的な状況は、人生の滑稽さと残酷さを象徴する。
不器用ながらも渾身の指揮で奏でられるのは、独裁者と戦った英雄を描いた曲『ウィリアム・テル序曲』。それはまさしく、鉱夫とバンドの心意気を示すもの。赤ん坊の泣き声が、夫婦の和解と、ほんのわずかな希望とを表現するものとなる。
クライマックスでいくぶん説教くさくなったのは残念だが、十分に「いいたいこと、伝えたいこと」を突きつけてくるシナリオと作りである。
ピート・ポスルスウェイトが持つ鋼鉄の意志、自暴自棄なユアン・マクレガーの目、タラ・フィッツジェラルドの戸惑い、スティーヴン・トンプキンソンの情けなさ。それら達者な出演者たちのしっかりとした演技も、演出プランを助ける。
そうして表出してくるのが、人の生きざま。原題「Brassed Off」は「うんざり」の意とのことだが、そんなどうしようもなくやるせない状況下で、愚かしく、けれど懸命にあがき続ける人の、愛らしき生。
オープニング・タイトルでは、fとpの文字だけが赤く示される。すなわち人生には、f=強く歩む時期と、p=弱くうずくまるときとが、入り混じりながらやってくるということ。
生きていくことの楽しさと苦しさ、喜びと無情とを、しっとりと教えてくれる映画である。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント