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2008/08/31

ダークナイト

監督:クリストファー・ノーラン
出演:クリスチャン・ベイル/ヒース・レジャー/アーロン・エッカート/マイケル・ケイン/マギー・ギレンホール/ゲイリー・オールドマン/モーガン・フリーマン/モニーク・カーネン/ロン・ディーン/キリアン・マーフィ/チン・ハン/ネスター・カーボネル/エリック・ロバーツ/リッチー・コスター/アンソニー・マイケル・ホール/コリン・マクファーレン/ジョシュア・ハート/メリンダ・マックグロウ/ネイサン・ギャンブル/ウィリアム・フィクトナー/エディソン・チャン

30点満点中17点=監4/話2/出4/芸4/技3

【ジョーカーvsバットマン、そして、新たな敵!?】
 正体を隠し、バットマンとして夜ごと悪人を狩る大富豪のブルース・ウェイン。ただし協力者のゴードン警部補を除く警察から見ればバットマンもまた犯罪者といえた。いっぽう正攻法でマフィアの壊滅に努めるのは、検事のハービー・デントと、その助手でブルースの元恋人レイチェル。だがマフィアの金を奪い、ゴッサムシティを支配しようとするジョーカーが、さまざまな計略で街の有力者やバットマン、デント、ゴードンらを追い詰めていく。
(2008年 アメリカ)

★ややネタバレを含みます★

【テーマは二面性】
 銃撃、格闘、飛翔、カーチェイス、クラッシュ、爆破……。序盤からラストまで、凄まじいスピードのアクションが、息つくヒマなく怒涛のごとく繰り広げられる。そのへんの映画ならクライマックスに相当する見せ場をいくつも盛り込んで、まさに飽きさせない展開と作りだ。

 また、痺れさせてくれるのが美術の仕事。バッド・ポッドのデザイン(壁でのターンもインパクト大)、ブルースが密かに作戦を練る地下の大空間、さまざまなガジェット(科学的考証はさておき)やコンピュータ画面、大掛かりなセットなど、ミクロからマクロまで、世界構築にかけられた手間ひまは尋常ではない。不協和音が折り重なるようにして不安を煽るサウンドトラックも良質だ。
 まぁ前作『バットマン ビギンズ』でも述べた通り相変わらず役者の扱いにはちょっと疑問があって「そのウィリアム・フィクトナーとエディソン・チャンの使いかたは何やねん」とかいいたくなるのだが、物量を投入しながら丁寧に仕上げられていて、前作を観ていなくても楽しめる映画になっているといえるだろう。

 いや、正直にいうと、その「登場人物の扱いのマズさ」が、今回は足を引っ張っているように思えてならない。

 本作のテーマは、もう誰が観ても明らか。オモテとウラ。人間と社会の中に潜む二面性である。もともと前作も“善と悪”という大きくて曖昧な対比を描いていたが、今回はその鬩ぎあいがさらに鮮明なものとなる。
 公の姿と影の仕事を持つ主人公、モラルから抜け出せないバットマンと奔放なジョーカーの対峙、必要とされているのは光の騎士デントか闇の騎士バットマンか、ふたりの男の間で心を揺り動かすレイチェル、ジョーカーが仕掛ける二者択一のゲーム……。
 全編に渡って、オモテとウラ、対(つい)、二者択一という状況・設定がこれでもかと散らされる。本当は両方ともに大切・必要なものであり、少なくとも人間の心の中や社会に存在することは確かなのに「どちらか一方を選べば、他方は消える」という矛盾が用意される。

 だとしたら、デント/トゥーフェイスをもっと大きく扱ってもよかったのではないか。コインを投げてオモテかウラかで未来を決め、情熱と怨念、ふたつの顔を持つ彼こそが、本作の象徴たる存在だったはずなのだから。

 なぜデントの存在が必要以上(以下)に小さくなってしまったのか、その理由も明らか。ヒース・レジャーだ。
 ジョニー・デップとジャック・ニコルソンとマルコム・マクダウェルとをミックスして体内で消化して吐き出したかのような“荒技”でジョーカーを演じ切ったヒース・レジャーが鮮烈な光を発した(個人的には、監獄の中で大人しく座っている姿と、トラックから這い出してきて転びそうになるところがツボ)ため、アーロン・エッカートがその陰に追いやられてしまったように思える。ひょっとすると編集の段階で「これなら、ジョーカー多め、トゥーフェイス少なめで」という意向が働いたのかも知れない。
 観る側も、あまりにヒース=ジョーカーの凄みばかりが喧伝されたため、そこにばかり重心を置いてスクリーンに向かってしまうことになる。

 本来なら後半部分(デントがトゥーフェイスとして壊れていく様子)をもっと厚くし、バットマン、ジョーカー、トゥーフェイスによる「オモテとウラの葛藤」をより明確なものとして、そこにバランサーとしてのゴードンが加わって4本の柱でストーリーを支えるような構成とすべきだったろう。そして「狂気vs正義」の物語ではなく、「たがいに求め合い、補完し、けれど反発しあうオモテとウラの矛盾」に向き合う覚悟を持って観るべき映画であると伝えるべきだった。
 つまり、楽しめるけれど、しっくりこない。そんな二面性を、本作自身もまた持っているように思えるのだ。

 やがてブルース/バットマンは、究極の選択を強いられることになる。決意を介錯するのは、オモテの世界にいながらウラのドアも叩く柔軟性を持つ現実主義者のゴードンだ。
 彼らの選択・決意の先にあるのは、“必要悪”という、まさに現実主義的であり、けれど大いなる矛盾をはらんだ道である。
 前作で描かれた「完全に否定できない悪」からさらに一歩踏み出して「必要とされる悪」を描く、それが本作の着地点だろう。

 この新世紀バットマン・シリーズが一貫して“善と悪”という対比を中心に据えながら力強い2歩目を踏んだことは間違いない。次回作ではどちらの方向に踏み込んでくれるのか、楽しみが増したとはいえる。
 ただ期待をこめていえば、「伝えたいことを伝えるために、どこ(誰)に軸足を置くか」をもういちど整理してもらいたい。
 より個人的な願望としては「ニセモノのバットマンを雇えば楽になる」などと、すべてを超越したところで“善と悪”の関係を見透かす執事アルフレッドがキーとなるストーリーを観たいものだ。

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