主人公は僕だった
監督:マーク・フォースター
出演:ウィル・フェレル/マギー・ギレンホール/ダスティン・ホフマン/クイーン・ラティファ/トニー・ヘイル/デニス・ヒューズ/トム・ハルス/リンダ・ハント/エマ・トンプソン
30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3
【女流作家に操られた僕の人生】
規則正しい生活を送る税務庁の監察官ハロルド・クリック。ある朝、彼の耳に届いたのは、彼の生活をそっくりなぞり、“これから何が起こるのか彼には知る由もなかった”という女性のナレーション。文学教授ジュールズ・ヒルバートのアドバイスを通じて、どうやら自分はある作家が執筆中の小説の主人公だと知るハロルド。しかも作家は、自分を殺す結末を考えているらしい。せっかくアナ・パスカルという女性と巡り会ったばかりなのに……。
(2006年 アメリカ)
【特別な瞬間の積み重ねが、当たり前の日常を作る】
もうすぐ殺されるかも知れない。そんな窮地に立たされたハロルドが右往左往する様子を連ねていく。
印象に残るのは、まず演技。
視線の送りかたや顔の筋肉にまで気を配ったエマ・トンプソンの、芝居らしい芝居。抑えた抑えたダスティン・ホフマンの、生真面目だけれど正体不明な教授。一見周囲を突き放しているように思えてすべてを把握している助手ペニー役のクイーン・ラティファ。そして飛び切りキュートな中に知性と情熱とを漂わせるマギー・ギレンホールのアナ・パスカル。これらオスカー級の出演陣に囲まれて、ウィル・フェレルも静かにハロルド・クリック役をまっとうする。
描きかたも思ったより静かだ。細かなカット割りや“神の視点”を表す俯瞰アングルなどはあるが、全体に淡々粛々、大仰になるところもぐわぁっと盛り上げるところもない。
その静けさが、要所要所で効いてくる。
とりわけ素晴らしいのが、ハロルドとアナのキス・シーンだ。ギターを弾くハロルドがトリガーとなり、ふたりが一気に燃え上がるという、通常の映画なら唐突に思えるこの場面。が、本作に限っては実にリアルに思える。
ハロルドは“思い切って”アナを訊ねたわけだが、むしろ、ギターを弾くような“何気ない”行為が日々を大きく動かすキッカケになり、誰の人生にも「それとは気づかないまま迎える特別なとき」がある、という本作のテーマを強く象徴し、目に焼きつく。
そしてラスト、カレンが紡いだ物語の結末と、エンドクレジットのバックに流れる「いつもの場所」は、小さな特別を一瞬一瞬積み上げて日常を作る=生きていくことそのものの大切さや意味を考えさせる。
そう、突きつけるのではなく、静かに考えさせる映画だ。
原題は『STRANGER THAN FICTION』、すなわち「小説より奇なり」だが、邦題もなかなかに味わい深い。すべての一瞬を、僕らは僕ら自身の物語の主人公として生きているのだ。
作中に「彼には、日常と特別な出来事の区別がつかなかった」という言葉が出てくる。が、そんなもの、ハナっから区別できるわけはない。というよりも、すべての日常は“静かで特別な一瞬”で出来ているのだ。
昨日と“同じような”朝はあっても、昨日と“まったく同じ”朝はない。いつものあの場所、意識せず交わした会話、それら1つ1つがかけがえのない今日を作り、私の毎日、私の人生を構成する要素となっていくのである。
日本では受け入れられにくいアクの強いコメディアンが「監視されている男」を演じてブレイク・スルーを迎える、という構図は、ジム・キャリーにおける『トゥルーマン・ショー』(ピーター・ウィアー監督)のよう。
ウィル・フェレルにとっても本作への出演が、ターニング・ポイント、特別な一瞬になるのかも知れない。
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コメント
こんにちは。
ときどき、TB掛け捨てで、きちんとコメントもしないままですいません。
いつも、谷川さんのレヴューは、映画という作品構造に入り込んで、論じられているので、感心しています。
僕は、関係ない与太話に流れてしまうので、おやじの無駄話に終わってしまっているものがほとんどです。
レヴュー一覧をみて、共通しているものをいくつかTBで勝手にストーカーしました(笑)
ご迷惑かもしれませんが・・・。
投稿: kimion20002000 | 2008/10/23 17:51