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2008/09/05

ブラザー・フロム・アナザー・プラネット

監督:ジョン・セイルズ
出演:ジョー・モートン/ダリル・エドワーズ/スティーヴ・ジェームズ/レナード・ジャクソン/ビル・コッブス/トム・ライト/ジョン・セイルズ/デヴィッド・ストラザーン/キャロライン・アーロン/ディー・ディー・ブリッジウォーター

30点満点中17点=監4/話4/出4/芸3/技2

【遠い星からやって来たブラザー】
 不時着した宇宙船から這い出したのは、ボロ布をまとったひとりの男。姿かたちは地球の黒人そのものだが、モノに込められた思いを読み取り、傷や故障を“なおす”力を持っていた。ニューヨークのハーレム、小さな酒場にたどり着いた彼は、機械修理の能力を認められて、その街で暮らすことに。癒しや憧れの中で生活を送る彼に、忍び寄るのは2つの黒い影、そしてドラッグ中毒で死んでしまった少年。彼の、密かな行動が始まる。
(1984年 アメリカ)

【寓話的かつシンプルに描かれるテーマ】
 肌の色で人間を区別(または差別)する、という方法論がある。同じ肌の色を持つグループの中でも、足の指の数によって人は分けられる……。
 本来、人は、おのおのが持つ能力によって役割を与えられ、欠くべからざるピースとして社会を形成するものであるはずだ。

 雑多な人種と言語と階級とが、作品内に散らされる。別々の時間を過ごしているように思えて、実は、地下鉄や橋によって結ばれた地続きの場所で生きる彼ら。そこで、もっとも権威を持つであろう上流階級の白人と、もっとも強いパワーを持つはずのメン・イン・ブラックが「お前たちこそ異端であり、不要である」として社会から排除される。

 そうやって、社会システムの矛盾を、寓話的に、かつシンプルに突きつける映画だ。

 いやもう、インディーズ以前、大学の卒業制作(タイトルにUCLAスカラシップとあるから、そういう性格を持った作品なのかも知れない)なみにシンプル。
 ただ、“安っぽい”わけではない。
 冒頭から約10分、ほとんど台詞なしで状況を描写してしまう映画的文法は実に見事。ドサリと投げられる朝刊の束、というカットで朝を表現するあたりなんて、どうってことないんだけれど気が利いている。
 not~butやorを多用する台詞まわしもキレがよくってユニーク。「耳が聞こえないか、酔っ払っているか、イカレているかだ」のシーン、シビレるくらいに好き。全体に「まさに映画としての仕上がりを考えたうえで作られたシナリオだなぁ」と感心させられる。

 目カメラというガジェットも楽しいが、意外と大きなポイントとなっているのが人の動き、たたずまいではなかろうか。ブラザー=ジョー・モートンがきっちりと「迷い込んだ宇宙人」を体現しているのをはじめ、バーにたむろする連中はいかにも「バーにたむろする連中」っぽく見えるし、夫や姑に煙たがられている婦人は一方的に喋り、ゲーセンの店長は人をこき使い、役人は役人らしく振る舞う。
 メン・イン・ブラックなんか、獲物を探す恐竜そのものなんだもの。あれ絶対にILMが、ラプトルの動きを作るときにパクってるよ。
 そうした“それっぽさ”は、画面・世界にリアリティを与えると同時に、前述の「社会の中の位置づけ」をクッキリと浮かび上がらせるタネにもなっている。

 つまり丁寧に作られている、ってこと。確かに手作り感いっぱいで、ラストは素っ気なくて観念的すぎるけれど、不思議と“安っぽさ”を感じない作品である。

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