市民ケーン
監督:オーソン・ウェルズ
出演:オーソン・ウェルズ/ジョセフ・コットン/ドロシー・カミング/アグネス・ムーアヘッド/ルース・ワリック/エヴェレット・スローン
30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3
【ある男の、何も手に入れられなかった一生】
母親が下宿人から借金のかたに受け取ったのは鉱山。そこから金鉱が見つかり、チャールズ・フォスター・ケーンは世界有数の大富豪となる。小さな新聞社『エンクワイア』を買収したケーンは、これを足がかりに全米のマスコミを手中に収め、政界進出も図るようになる。が、一度目の不幸な結婚、二度目の哀れな結婚、そしてすべての喪失……。波乱の人生を送った彼が最期にのこした“バラのつぼみ”という言葉が意味するものとは?
(1941年 アメリカ)
★ネタバレを含みます★
【パーツによって描かれるテーマ】
作中で述べられている通り、結局“ローズバド=バラのつぼみ”というのはパズルの1ピース、他と比べて特に重要ではないがそれなしでは完成しない人生の一部分、すべての人はそのような「欠くべからざる小さなもの」の集合として出来ている、ということに納得しかかる。そのままでも十分に説得力のあるまとめだったと思う。
直後、“バラのつぼみ”が「すべての始まり」だと知らされること、そして「すべての始まり」が他人にとってはどうということのない小さなものであること、それが他人に知られることなく幾十年、こんなにも鮮烈に人の心の中に潜み続けること、そんな、人の業の凄まじさを突きつけられる。衝撃的なエンディング。
いや、やはり人・人生は「欠くべからざる小さなもの」の集合体であるということも事実だろう。ただ、周囲からは1つ1つの要素しか見えなかったり、逆に輪郭しか見えなかったりして、その人の内面すべてを把握することは困難となる。
思い通りに周囲を動かしたかったケーン、誰でも望まれる人間になれると証明したかったケーン、飄々としたバーンステイン(このキャラクターは好きだなぁ)から「約束を守るの苦手でしょ」といわれるケーン、それらは確かにケーンの一側面であるが、観る側の価値観によって“何が見えるか”は大きく変わってくるわけだ。
たとえ親友や妻といえど、目の前の人を理解することなど出来ない。
そんなテーマを、ガッチリとパーツを絡み合わせることによって提示する映画的な作品。
たとえば、たびたび錯綜するセリフや「NO TRESPASSING(侵入するな)」の看板は、アイデンティティの不可侵性を暗示するものとして用意されている。積み重ねた経験のごとく雑然と置かれた美術品の数々は、ケーンという人物の複雑性(もちろん、僕ら人間すべてが複雑なのだ)を示す。
かと思えば冒頭とラストには同じ形が繰り返される金網のデザイン・パターンを映して、人なんてみんなそんなもんでしょ、と知らせる。
ほかにも、音や映像を巧みに使った鮮やかなシーン遷移、遠近自在で大胆なカメラワーク、ユニークな物語構成、メイクと芝居で各年齢のケーンを表現し分けたオーソン・ウェルズなど、映画としての基本的パーツの素晴らしさに満ちている。
まぁ例によって、このクラスの作品をあーだこーだいうのは、おこがましいわけだが。
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コメント
TZK様
でもまぁ「このクラスの作品だからこそ、あーだこーだ語れる」というのも真理だったりしますね。
そういう、「なぜこの映画が面白いのか?」を発見する喜びをたっぷり味わえる作品こそ、真の名作なんだと思います。
投稿: たにがわ | 2009/08/02 06:30
「このクラスの作品をあーだこーだいうのは、おこがましいわけだが。」おっしゃる通りです(笑)
映画史上No.1というランキングから興味を持って観てしまうと、なんでこんな異様な映画が?と感じてしまうのですが、この画面表現はこの映画以前にはなかったのだと思い知ると、恐ろしさを覚えるほどのオリジナリティーです。
他人にとっては取るに足らぬ、その人間を形成するにいたった「核」となる秘密。そんな個人的なことが、世の中に大きな影響を与えるまでの力に変換されてしまうのかという力学の恐ろしさ。
ものすごく古い作品ではあるけれど、ブッシュ政権とイラク戦争も、この作品で描かれていることのバージョンアップ?とも思えてしまいます。
フリッツ・ラングの「メトロポリス」完全版復元に人生かけている方々もいる中、「市民ケーン」もより状態のいいプリントが復元されることを願っています。
投稿: TZK | 2009/08/01 19:07