敬愛なるベートーヴェン
監督:アニエスカ・ホランド
出演:エド・ハリス/ダイアン・クルーガー/マシュー・グード/ジョー・アンダーソン/ラルフ・ライアック/ビル・スチュワート/フィリダ・ロウ
30点満点中17点=監4/話2/出4/芸4/技3
【聴覚を失った楽聖、その手を取る聖女】
19世紀のウイーン、交響曲第9番の初演を間近に控えたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。そこへ写譜のためにやって来たのは、作曲家を目指す若い女性アンナ・ホルツだった。傲慢、不遜、不潔、傍若無人なベートーヴェンは彼女を追い返そうとするが、素質を認められたアンナは、難聴に悩むベートーヴェンに頼られるようになる。人を人とも思わぬ大作曲家の態度に傷つきながらも、アンナはベートーヴェンに尽くすのだった。
(2006年 アメリカ/ドイツ/ハンガリー)
【感動できるが、濃度不足】
速いズームやジャンプカットなどを多用して、意外と現代的な作り。コスチュームものというよりラブ・サスペンスのノリだ。
いっぽうブダペストなどで撮られたというロケーションや美術は堅牢で、ベートーヴェンが生きた時代を再現する。灯りと影とを意識させて、当時の空気感も漂わせる。
現代と180年前との中間で自由自在に動くのがエド・ハリスとダイアン・クルーガー(『トロイ』のときより美しいなぁ)。軽やかな芝居を見せたかと思えば、もったいぶった台詞まわしも聞かせる。
なるほど、雰囲気を固定しないことで「フィクションを交えた史劇」であることを知らせるとともに「普遍的な愛のカタチ」を描こうとした、といったところか。
まぁそれはいいとして、ちょっと突っ込み不足に終わった感は否めない。問題は、時間と濃度。
クライマックスといえる第九の初演シーンは、なかなか官能的なのだ。2人指揮というシチュエーションを生かしてベートーヴェンとアンナによる敬愛の交歓を見せるカットは「クラシックこそエロティック」といいたくなるほど。
が、そこへ至る過程が物足りない。
ベートーヴェンの破滅的な態度(もともと横暴で粗野な人物だったらしいが)は、彼自身が抱く“破滅に対する恐怖”が呼び起こしたものであることは明らか。台詞に異常なほど多く使われる「not」は、否定しても仕切れない自らの運命に対する呪いだろう。ただ、依然として「神と通じている」という愉悦もあったはず。そうしたベートーヴェンの苦悩と喜びが、あまりに雑然あるいは淡白に配されている。
いっぽうアンナの側にも、自らの音楽を確立したいという思いがありながら偉大な才能に囚われてしまうことと、「危険だからこそ素晴らしい」芸術の領域へと踏み込むこと、そこで味わう苦しさと喜びとを同時に抱えていたはずだ。そのあたりも舌足らず。
両者を等分に描写したのは妥当だったが、第九のシーンまでに相応の時間を割き、それぞれの描写濃度を高める配慮が欲しかった。それでこそあの第九は、もっと感動的なものとなったはずだ。
苦悩から歓喜へ、を描こうとした割には、前半が軽いのである。
ためてためて、爆発。そういう構造を持つ作品としては『リンダリンダリンダ』のほうが高濃度の“ため”を実現していたといえるだろう。
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