セプテンバー・テープ
監督:クリスチャン・ジョンストン
出演:ジョージ・カリル/ワリ・ラザキ/サニル・サダランガニ/ババ・ジョン/ババク・アリ/ジェニファー・マクマーン
30点満点中16点=監3/話3/出3/芸3/技4
【テープが語る真実】
9・11同時多発テロから1年。ドキュメンタリー映画の監督ラースは、通訳のワリ、カメラマンのソニーとともにアフガニスタン北部にある首都カブールへと潜入する。そこは、タリバンとアルカイダの争いがいまだ続き、戒厳令が敷かれ、アメリカ人には渡航禁止命令が出されている街。だがラースは危険を顧みず現地の武器商人や兵士らと積極的に接触し、ビン・ラディンの行方を追う……。彼らが遺した8本のビデオテープが語る真実とは?
(2004年 アメリカ)
★ネタバレを含みます★
【ジャーナリズムの向こう側】
本作は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『クローバーフィールド/HAKAISHA』と同じ“創られたドキュメンタリー”という手法による映画。その2作以上に、どこまでがリアルで、どこからが演出か、区別がつかないよう上手に画面は構成され、編集されている。
たとえば、関係のない人物がいつの間にか画面に入り込んでいて「こいつって敵か? 味方か?」と思わせる緊張感、ただの風景が実は「死と隣り合わせの生が営まれている場所」であるという臨場感。
テーマ性を盛り込むことも忘れない。
復讐の連鎖が悲劇を生み、支配欲が戦争を生むという事実。あらゆる人が傍観者から当事者になり得る可能性の示唆。宗教と経済に起因する価値観の衝突。そして、自業自得だと語られる9・11……。
そこに付け加えられる銃撃戦のリアリズム。
企画モノだけに映画としての完成度は『キングダム/見えざる敵』あたりに及ばないが、何を伝えたいか、観客が何を観たいのかについての責任をちゃんと果たした内容といえるだろう。
とりわけシニカルなメッセージとして迫るのが、ジャーナリズムのありようについてだ。
ジャーナリズムに対する不信感やジャーナリズムの限界については『ウェルカム・トゥ・サラエボ』の項で書いたが、本作はさらに「なぜ、そこへ行かなければならないのか?」という点についての思考を強いる。
そりゃあ確かに、誰かが戦争の発端や副作用、戦場の現実を伝えることは重要だろう。が、だからといって非戦闘員が命を賭して危険地域へ飛び込むことの意味を、個人的には見出せない。カメラ片手に戦場を走ることは、どうも“ポーズ”に思えて仕方ないのだ。
本作ではラースに「ムダだった!」と叫ばせることで、単に「核心へと迫るための情報に近づいたと思えても、無駄足を踏むことがある」という取材作業上の事実だけでなく、「そもそも『伝えたい』『伝えなければ』という意思をもとに戦地へと飛び込むことが無益」という、取材の意義に対する懐疑をも表明しているように感じる。
何しろ、何百何千という人間がジャーナリズムの名のもとに彼の地へと足を踏み入れているのに、いっこうに戦争は終わる気配を見せないのだから。
そして、復讐という、歪んではいるけれど実にシンプルで強力なモチベーションを持つラースは、ただ「伝えなければ」としか考えられない凡百のジャーナリストよりも遥かに行動的で、はるかにストレートに望むものへと近づいていく。
それがまた、ジャーナリズムの限界というか、戦争から足を洗えない人間の業を明らかにする。
人間という生き物は殺しあうために存在している、そんなふうに思えてしまう映画であるともいえるだろう。
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